身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

自殺を思考で乗り切ること。

 大仰なタイトルを付けたが大したことは書いていない。ことの始めは、昨日、欠席した新年会で参加者から電話があったこと。出たら、いきなり「当日キャンセルだから4,500円ね。」幹事でもないんだし、気遣う言葉のひとつくらいあってもいいだろう。

 そんなことを他の友人にメッセージした。実は「自殺は安易で無責任な選択」と言った友人である。仕事が忙しい人なので電話があったのは深夜で、私は眠剤で朦朧としているから、言われたことの半分も覚えていない。今、大丈夫? と言われて、少しならと言ったら少しでは終わらなかった。

 その友人はグループの立ち上げメンバーで、これこれこういう理由からグループの飲み会には参加しないけれど、私のことについては言ってあげてもいいよと言う。そういう人が来るようになった理由が判ったし、私もお義理とはいえ申し込みをしてしまったので仕方がない。

 そして、そういう理由抜きで一緒に飯でも行こうよという話になった。しかし酒が飲めないしな… と言うと、酒は飲まないで済むんなら飲まない方がいいんじゃないの? と言われた。その理由が、酒は逃げ道であって、できることなら思考で乗り切るべきだよと言われた。どっかで聞いた論理。

 高校入試で我々くらいの偏差値が取れる頭なら(その友人と私は隣の私立進学高に通っていたのが縁で友人になったが、公立を蹴って来る生徒がいる程度の学校である)その能力はあると思うと言う。偏差値は関係ないと思うが、たしかに最近、私が色々なことで思い悩んで苦しんでいるのは問題解決能力がないからという気がする。

 実際に、その友人とは酒抜きで食事をしたこともある。1,000円くらいの、ちょっといいものを食べましょうという感じだ。別の機会に、私が美味そうな日本料理屋を見付けて入ったことがあり、そこは4,500円で散財させてしまったなと思った。しかし、最近、金を気にしないで食事ができるようになったんだと言われ、私は、彼の、そういう言葉の随所に表れる優しさが好きで、リンクを張ったように意見が合わないときもあるが(しかも結構、深刻な場面だ)コンタクトを取っている。

 そして、次に会うまで死なないでくれよと言う。他の友人が死にそうだと思って会いに行っても無駄足になることが多いと言う。死にそうなところを助けに行くということ自体、相手が死ぬ可能性が大きいのだが、ここ数年、同じ友人についてばかり話していて、死なれたのが、よほどショックだったのだと思う。

 頭では判るのだが、いくら優しい人にでも、そして、それが正攻法でも、やっぱり、苦しんでいる人にとって、頭で考えて乗り切ろうとしないで死ぬのは安易だよと言われれば追い詰められるなと思う。現実が抱えきれなくて酒に逃げるのは、快楽を求めて酒を飲むのとは違うと思う。

circumstances.hatenablog.com