身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死にたいという気持ちを乗り越えるには。

 書きたいことはあるのだが、あまりにも曖昧模糊としていて、書きたいことの何%が言葉にできるのか今でも不安だ。タイトルも不適切な気がする。そして、タイトルを句読点で終わらせるの何とかできないかねと、自分でも思っている。

 

 自殺をする人の背景には、死ぬよりも辛い思いがある…。当たり前と言えば当たり前だ。私が拝読しているBlogに、電車に飛び込んで自殺して人身事故を起こした人に対して他人に迷惑を掛けるなと舌打ちする人のことが載っていた。

 そのBlogの筆者は、そういう意見に否定的なのだが、そう思える人は、まだまだ少ない。なので舌打ちする人が後を絶たないのだ。(これだけ達観しているあなた、本や音楽のチョイスといい、本当は大学生じゃないでしょう・笑。)

 

 また当然のことを書くが、死ぬことは生きるのを辞めることだ。死ぬ苦痛と生きる苦労を天秤に掛けて(掛けるって字、合ってんのかな?)死ぬ苦痛を上回る苦労があったときに人は自殺をする。

 ただ闇雲に自殺はイケナイ! と叫んだところで、そのままの状態で生きていては、その人は天命が尽きるまで死を上回る苦労を味わわなくてはいけないのだ。それは自殺をするよりも酷な話である。

 

 実は、こんな話を、なぜ今日、書こうとか思ったかというと、昨日、死にたいと思ったのだ。死にたいと思ったといっても、程度からすれば、本当に自殺未遂をしたときよりは、まだまだ軽く、なので、今、こうして寓居でPCに向かっている。

 程度の問題といえば、人身事故に舌打ちをする人以上に腹立たしいエピソードをひとつ。Twitter「『自殺願望』というより『死の感覚』がいつも近くにいたって話。」というツィート「うつの人の“死にたい”は“からあげ食べたい”に近い」というネットニュースになって拡散されているのだ。

 そして「『※今はめっちゃ元気です』とハイテンションで踊る主人公のイラストが描かれています。」と記事が続くが、当たり前だろう。死というのを、その程度に考える人は、抱える悩みも、その程度なのだ。

 ツィートした人を責めているのではなく、その人の、そのときの感覚を、すべての鬱病患者が死を同じように感じているかのように書く「オトナンサー」というサイトと、それを配信するメディアに憤っているのだ(ほとんどが、新聞・雑誌を主体とするメディアではなくネット主体のメディアだけど)。

 

 さて、私の場合、少なくとも「からあげ食べたい」よりは重く、しかし、自分から電車に飛び込むほどでない程度に死にたいと思った。私は7月31日に「自分に向かう殺意。」というエントリーをアップしているが、そのときは周囲の人が本当に私が自殺すると思ったらしいから、少なくとも、そのときよりはマシである。

 東京都では熱中症の注意報ではなく警報が出ていて、あわよくば… というくらいには思っていた。そして、出掛けて行った先で、炎天下を歩くより先に、また、店の商品を略奪したい思いに駆られた。

 よく、若者が凶悪犯罪を犯したときに、動機として「イライラして」と報道されることがある。これも、苛々した程度で凶悪犯罪を犯すとは何事だ、若者はキレやすいなどと報道するのは、何か違うのではないかと思う。

 人生経験も少なく動機を表わす適切な言葉が見付からないから「イライラして」という表現になっただけで、言葉というのは額面どおりに捉えればいいというものではないということは私以外にも大勢の人が書いている。

 

 しかし、表現で最も重要視されるのは、やっぱり言葉なのである。私が、あまり音やビジュアルに感動しないからかもしれないが、美味しいものを食べて生き返った気分になっても、そこには「食レポ」なるものが存在する。音や映像・写真や絵画だって評論というものが存在する。冒頭のBlogの筆者は、自殺した人と同じ体験をすることで理解しようと試みたようだが、それを伝えるのは、はやり言葉だ。

 私が死にたいと思ったとき、それを楽にしてくれたのは、多くの文学作品だ。これは、小説に限ったことではなく、Blogのエントリーだったり、エッセーだったりもする。考えさせられるものであれば新聞や雑誌の記事も文学といえるかもしれない。

 文章を読んで、そうそう、それそれ、それがいいたかったんだよ! と思うことが、やはり、私にとっては、自分の苦しみを理解してもらうための一番の解決策になる。そして、同じように、自分がいいたいことを解って、一緒に解決して欲しい。

 

 やっぱり、今日は自分がいいたいことの半分も書けなかった。結論も暴走してしまった。もっともっと、読んで書かなければいけないと思った。そして、偉そうに書きながら、本人は、それをせずに炎天下を歩こうとしているのだから始末に負えない。

 

 ちなみに、渋谷から家まで炎天下を1時間かけて歩きました。渋谷駅の構内は、ほぼ、案内を見ないで歩けるようになりました。ええ、今日は熱中症でクラクラしていますとも。例によってInstagramから1枚。ストリームという名前だが、まだ渋谷川の親水部はオープンしていない。

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