身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

名店の条件。

 今日、Twitterの遣り取りをして思ったのだが、私は、いわゆる「名店」には行っていないのではないかということだ。それでは、ここでいう「名店」というのは何か。

 まず思い付くのは「名が通った店」である。このことを考えたキッカケとして出てきた名前は飯倉のイタリアン「キャンティ」である。確かに行きたい店ではあるが、テーブルマナーのテの字も知らない私は臆してしまう。

 友人に、そういう店って行ったことがないと言うと、でも五反田のアノ店に行っているよねと言われた。店名は出さなくても、こう書けば検索で出てくる、歓楽街の洋食屋である。ある直木賞作家のエッセーに、こう出てくる。名前を伏せて書いているので、あえて書名等は引かない。

五反田駅の改札口で待ち合わせ、ロータリーから小路へ入った小さい店だが、私としては自慢げに人を連れていく店で、案の定、二人とも気に入ってくれた。

 行き始めたときは、まだ、あまり東京では出回っていなかった赤星(ビール)があったりして、価格もリーズナブルだった。看板は「フランス料理」となっていたので、最初に行ったとき、コースで頼まなければいけないの? と訊いたら、ウチは洋食屋ですからと言われた。看板メニューは牡蠣のソテーで、1,000円を超えたのは最近である。最近は、ビールもプレミアムビールしか置いていない。

 この店が、どの程度「名が通った店」なのか知らないが、作家が自慢げに人を連れていく店ということで少し特別な店であることは確かだ。しかし、別にテーブルマナーなど知らなくても入れる程度にはカジュアルである。

 私は、テーブルマナーどころか、実はフォークとナイフの使い方も知らなかった。会社に入って先輩とランチに行って、箸感覚で右手でフォークを持ち、左手でナイフを持ったら、力を入れる方の手でナイフを持つと教わった。

 教えてくれる人はいい方で、中には鼻で笑う人もいる。そうすると私は和食屋に連れて行ってリベンジするのだが、そう考えると、箸遣いというものも一種のテーブルマナーかもしれない。

 和食の名店といって真っ先に思い出すのは寿司屋だが、私は本格的な寿司屋にも行ったことがないかもしれない。しかし、箸が使えないわけでもないしメニューもお任せにすればいいだろうし、フレンチやイタリアンのような敷居の高さというのはない。

 こう考えると、名店の、もう一つの条件に、やはり仰々しくないという要素も入ってくるのかもしれない。

 先日、キッチンジローの支店閉店で友人がざわついていたが、小学校から専門学校まで神田に通った私は、あの辺の洋食屋というのは、学生では行きづらい店を含め、けっこう行っている。神田といえば喫茶店も多いが、そういえば喫茶店は行っている方かもしれない。

 喫茶店といえば、似た位置づけとしてバーというものが入ってくるだろう。こちらも、そこそこ行っている。文壇バーというものがあって、作家という人々は、そこに行くらしいという話から行き始めた。なかなか居心地がよく、先輩の常連客に当時20歳代だった私が客として受け入れられたのは珍しいと言われた。

 バーで酒を飲んでいると、あまりバーに来たことがない人から、どのような順番で頼めばよいのですかと訊かれることがある。ベロンベロンになり看板になるまで飲んでいる私に訊くなという話であるが、バーを社交場として扱っていた時分には、3杯で、いかに酒をおいしく飲むかということは意識していた。最初はロングのサッパリしたもので… などというが、寿司と同じで、これもお任せでいいと思う。

 しかし、敷居が高いバーというところにも行ったことがある。今はなくなったが、青山のセカンド・ラジオだ。これは文字通り神宮前のラジオの2号店なのだが、村上春樹氏が来ているというので意気込んで行った。ここは、上に書いた直木賞作家の本人ではなく夫人が常連ということで、まぁ、五反田の洋食屋でそうなら、本人は来ないだろう。

 グラスがぜんぶ特注というのが売りの店である。店で銀製のカクテルグラスを注文したら内側に金を貼られて店員がヤスリを掛けたという話を聞いたことがある。若者としては金額がバカ高かった気がする。そういう意味でも、軽々しく行けない店である。

 だんだんと安易な方向に流されている気がするが、緊張せずに味わいたいのでカジュアルということも、やっぱり条件に入れたい。ただ、ここでいうカジュアルとは、あくまで個人的な問題であり、私にとって寿司屋はカジュアルだろうけどフレンチやイタリアンはカジュアルでない。

 寿司がカジュアルなら他の和食はどうか。蕎麦・天婦羅・鰻… やはりいずれも気取らずに入れる。以前、このBlogで葵丸進が数軒隣のファミレスより安いと書いたが、下町の方、例えば浅草あたりに行けば、値段的にも熟れて、財布の心配をしなくても入れる。

 神田にも蕎麦屋の名店と呼ばれるところが数店あるが、その中にも行きつけというのはある。私が行く店は気取らずに価格も1,000円せず、まるで立ち食い蕎麦のような気軽さで使っており、上の名店2条件に当てはまるが、友人を連れて行ったとき、友人がビビッてしまった。

 そういう人が冒頭のキャンティでは平気かもしれないし、昼間から大人が静かに酒を飲んでいるような店だったら子供も恐々としているかもしれないし、こればかりは人によって違う。

 ふと、ここで当たり前の条件を抜かしていたことに気づく。美味しいということだ。これは、値段と両輪ということで、いわゆるコスパと言えるかもしれない。キャンティで数千円だったら(今になって思うと、カフェはその程度か)高いとは思わないし、気軽に使えると思う。

 他方、私が行っている喫茶店はコーヒー1杯850円である(チケットを買ってあるので、もっと安く飲んでいるが)。喫茶店だから、当然、カジュアルであるし、コーヒー1杯で何時間でもいられるので私の中でのコストパフォーマンスは高い。当然、美味しい。他人との打ち合わせに使える。

 今、ネットを見てみたら店員が不愛想などと書いてあって、そうだろうなと思う。店内が煩いとも書いてあって、客だけでなく店員もカウンターで平気でブレンダーを回してケーキを作っているので、これも、そうだろうなと思う。ただ、私にとってはカジュアルの要素であり、人によって違うものなのだと思う。

 名が通っている、カジュアル、コスパ…。今、思いつく名店の条件というのは、この程度だろうか。しかし、これらの条件を満たした店をネットのグルメサイトで検索すると、上の喫茶店のように、必ずしも良い評価を受けているとは限らない。結局、カジュアルさが人によって違うように、名店の条件も人によって違うのだろう。