身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

通院の記録。⑲

 今日は肉体的な苦しみはないものの、なんと午後4時まで起きられなかった。昨日の通院で意欲低下と言われたのだが、動こうと思って動けないのは、まさに、そうだろうなと思う。

 一方、昨日の通院では、肉体的苦痛がありながらも意欲低下と言われた。動きたい意思と動こうとする意欲は違うというようなことを言われた。医学用語としてと言われたのだが、正直、違いが判らない。

 実家の母が、ケアマネージャーが不正をしているとか前の家が売春宿をやっているというようなことを声高に言うようになり、あまりに激しいので入院させようかと思っていると母のケアマネージャーより電話。

 高校時代、私が精神病に罹ったら、成人式の間、私を監禁して、そのくせに良い成人式ですってと言い、それから、実家を追い出されて(大検も放り込まれた病院から取りに行った)文字通り門前払いで、電話を架けてもガチャンと切られた。年金制度なんて破綻すると言って国民年金にも加入せず免除申請もされてなかったので、追納金が大変だった。両親の50歳代から70歳代を知らずに、いきなり八十数歳代を目にしたとき、正直、戸惑った。

 このように両親がキチガイと呼ばれるのは今に始まったことではないし、私の病気が酷いとき脅迫などをしてきて、何を今さらと思う。これ以上、迷惑を掛けないでくれ。父が死んで私が相続した金額は国産車1台分と書いたが、60歳を過ぎて仕事もせず頻繁に旅行に行っていた父の遺産の総額も、実は少ないものらしい。

 主治医に、母のこともあるし、自宅も再開発に入っていて引っ越しなどがあるのに、それもできないと言うと、やってくださいと言われた。本当に、何度も書いているが、根性で何とかなるものだったら、なんとかしている。

 かつて、あまりの苦痛で酒に逃げていたときも、酒を飲む人は贔屓の野球チームが勝ったといっては酒を飲み、負けたといっても酒を飲む、理由なんて関係ないとも言われた。前回も今回も、酒以外に逃げ口がないのは、そういう安易な理由で酒を飲むのと違いますよね、できないこととしないことは違いますよねと複数の人が言ってくれて、それで何とか溜飲が落ちている感じだ。