身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

「大検」という「学歴」。

 友人が出身大学の話をしていて、私は二部(夜間)だから… と言う。ちなみに中堅私大といわれる大学である。私は、その大学を受けて落ちている。ご丁寧に不合格理由を通知してきて「学力試験以外の理由による」と書かれていた。

 まぁ、高校を出られなかったってことだからねと言うと、それって努力していることにならないのかな? と言われた。いやしかし、大検の受検会場を見ると、取らない方の気持ちも判るよ。

 社会のベルトコンベヤーは「訳アリ」を振るい落とす。そもそも、大検というのは検定試験であり「学歴」ではない。大検出身者は高卒ではないのだ。新卒のとき履歴書を学生課にチェックしてもらって知った。

 結局、私は専門学校に進学した。何度も名前を出しているから今さら伏せても仕方がないので、神田外語である。その大学に落ちたことに驚かれた私だが、英語の偏差値が30だった私が神田外語に受かったことも驚かれた。

 それについては、三流私大を舞台にした篠田節子『銀婚式』に、次のような表現がある。

資格試験合格者数が学校の評価に直結する専門学校は、それなりに入学者を選抜する。

(126ページ)

 専門学校というのは大学よりも実力重視ということか。大学も実力重視のところを受ければ受かったかもと他の友人に言われたが、そんなに良い大学を受けられる成績ではなかった。ただ、専門学校では、当時は受ける人自体が少なかったTOEICを始め、諸々の試験を受けさせられた。

 ここで思い出すのが、この前まで読み込んでいた鷺沢萠作品の、これまた中堅私大を舞台にした『シコちゃんの夏休み』(「F 落第生」所収)に出てくる表現だ。

大検出身者は就職のとき不利なはず、と先読みしているシコちゃんの目標は全優を取ることなのだ。

(角川文庫版17ページ)

 しかし、最終学歴が大卒ではなくて専門学校ということで不利になったことはあるが(英語が苦手なのに神田外語に入った理由は大学への編入を目論んだからだ)同じ専門学校出身者の中では、大検出身だからといって、特に不利になったことはない。

 神田外語という学校が同じ専門学校の中では幅を利かせているということもあるが、やはり、社会に出たときに物を言うのは最終学歴なのだろうか。あ、軽い自慢をすると、私も専門学校ですが全優でした。

 それでも、私が勤めていた会社で、慶應大学出身者が正社員で採用になり、東大出身者が契約社員として採用になったところがあった。

 その会社では私が彼らの指導係をしたのだが、彼らを見ると、単に鶏口牛後という話でもない気がした。高校を出ていようがいまいが、最終学歴が何であろうが、やはり本人の資質や能力の問題なのかなとも思う。