身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

Waste of ...

 最近、時間や金を無駄にしたなぁと思うことが多い。

 ここのところ外出もせず(風邪でできなかったのだが)ネットを見ていたのだが、おぉ、いいこと言ってんなぁと思っていた人が、ネットで、その人が批判している対象の仲間(というより親玉)と仲良くなったと喜んでいて、その程度の人かと残念に思った。

 ネットは、黒白ハッキリというより、底が浅く敵味方を決め付けるきらいがある。ここのところTVドラマ「スキャンダル専門弁護士 QUEEN」を観ているのだが、ドラマの元ネタもネットから拾いながら、そういうネット民の反応を、またネタにしている。ある意味、ネットに対するTVの優位性をアピールするドラマだといえる。

 しかし、普通、そういうことって、ある程度は自分で調べないのかなと思ったが、冒頭に書いた人物も絡んでいて取り上げたTVドラマのネタのひとつにもなっている電通の事件。なんとかいって、私も、ネットを見るまで詳しく知らなかった。こうなると、ネットは毒なのか薬なのか判らない。

 この事件の露呈は#MeToo キャンペーンの一環であるが、#MeTooといえば、ちょっと前の話になるが、荒木経惟氏のことが思い起こされる。荒木氏が、そういう人物であることは私の耳にも入っていたくらいなのに、なぜ、そういう声に耳を傾けずにモデルになるのか。ネットで検索しても出て来ないのか。

 かくいう私も、金を無駄にしたのは、ネットの話を信じてのことだ。カメラケースを買ったのだが、投げ売りされている古い機種を対象としたケースでも入りますよとのことで、駄目元で買ったのだが、結局、対応品を買い直した。ネットの口コミを信じて外したのは、今年に入って2回目だ。

 1,000円程度、しかも駄目元と思っていたのに、私は医療費も出してもらえない環境にいたせいか、無駄金を使ったことに非常な罪悪感を覚える。なんか、そんなことを調べた時間や使った金を考えると、自己嫌悪までしてしまう。君子危うきに… ではないが、今日、これからは、ネットなどを見ずに精査した本を読んだり音楽を聴いたりします。

うんざり。

 また昨晩から風邪で寝込んでいる。今日の午前中、熟睡して、昼食を摂り、もう一休みしようとしたときのことである。母から電話があった。

 15日なのに、なぜ来ないのかと言う。生活費を受け取りに来いと言われていたのだが、今月は年金受給月なので、受け取るものがない。

 金の切れ目が縁の切れ目ではないが、はっきりいって金さえもらえなければ、とっくに縁を切りたいのだ。

 こう書くと我利我利亡者のようにいう人間がいるが、親は自由だけではなく遊びも勉強も仕事まで奪い、医者にも金づるだと思えと言われている。

 この前、よく両親を惨殺しませんでしたねと言われたことを書いたが、本当に惨殺されなかっただけ有難いと思えと思う。

 今まで私が電話をしたらガチャ切りしていたくせに、私が金を払っている携帯電話で、よく抜け抜けと電話が掛けられたものだと思う。

 せっかく風邪が良くなってきているのに、もう、これ以上、足を引っ張るような真似をしないで欲しい。

 

そうして過食へと走る。

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自分という患者の中にある精神病への無理解。

 マズい。今日は通院で、昨日、読めなかった本を持っていったのだが、帰りにドトールで読み始めたら面白くて読み込んでしまった。私の頭が単細胞でできているせいか、重いテーマなので難しいと嫌だなと食わず嫌いをしていたのだが、非常に判りやすくて面白かった。難しいことを簡単に書けるようになりたいものだ。

 以前、あるイギリス人に、有くんの英語は安易で判りやすいよね、と言われたのだが、単に私は難しい表現ができないんです、"get accostomed to"と聞いたときにドキッとしたよと言われたのだが、それも、日本では受験で習うんです。

 他方、私の主治医の日本語能力には疑問に感じる。判りにくいというより細かいニュアンスが伝わらなくて、つまりボキャ貧なのだと思う。なので、どういう言葉を使ったかより、コイツは何を言いたんだと考えて、それを頭に入れるようにしている。

 彼がどういう言葉を使ったのか忘れたが、ネット民というのは不健全というか、そういうことを言いたかったのだと思うのだが、そこまで細かいニュアンスを受け取ろうとすると私の貧しいCPUの量子化処理が追い付かないので、単にネット漬けは良くないと受け取った。

 1日に1回は外に出て身体を動かす習慣を作りなさいというようなことを言われて、私自身、その重要性は既に実感している。昔から作家が散歩を日課にしているのを見て、あぁ、机に向かっているだけでは良いものができないのだなと見て取ってはいた。

 しかし、東京という有名人密集地帯では、何度も顔を合わせていると私をストーカー扱いするタレントがいる。お前、そこまで売れているのか、自意識過剰だろうと思う。しかし、複数の友人に週に1回は私を渋谷か銀座で私を見ると言われ、あまりブラブラしているのも問題かなとは思っている。

 なんか外に出たら気分も開放的になって、書こうと思ったこととは話が別の方向に行ってしまった。出掛けるまでは、昨日のように煮詰まって何も書けないと思っていた。本当にヒューマンダストだなと思って、その原因について考えていた。やっぱり外出は重要。

 

 このエントリーのタイトルは、外出する前の、その、家で煮詰まっていたときに付けたものである。何もできない自分を責めながら、できない理由ではなく、なぜ自分を責めてしまうかを考えて付けたタイトルだ。

 私は正真正銘の精神病患者だ。正真正銘でない患者はいるのかというと、かなりの数がいる。自分は病気だという自覚がない、すなわち病識がない患者と、逆に、健康なのに病人を装う、いわゆる詐病である。

 私の中学の同級生に弁護士をしている人間がいる。私が親に色々とされていて、しかし、誰に訴えても相手にされなくなったとき、唯一、最後まで相手にしてくれていた人物だ。くれていた、と過去形なのは、ついに彼にも愛想を尽かされたからだ。

 彼のことについては改めて書くとして、精神を病んで死ぬほど辛いというのが判らないという。彼は元々、交通事故をメインに扱っていたのだが、俺のクライアントは激痛が走っても這ってでも打ち合わせに来るのに、精神を病んで外にも出られないというのが理解できないという。

 理解できないといわれたところで、私に、それを納得させさせる文学的才能などないのだが、最後に会ったとき、最近、地下鉄に乗れなくなって自転車で移動できなくなったと言っていた。これが、精神病というものの立ち位置を象徴していると思う。

 また別の友人の話だ。この友人は大人になってから、Facebookのコミュニティーグループで知り合った友人で、私より年上なのだが、彼は逆に、私に同情的である。精神病に罹ってみて、薬で体調が良くなるということに驚いたそうである。

 作家の星新一先生の作品に、宇宙人にさらわれた経験がある人物同士しか話が通じないという作品(作品名は忘れたが作風からすると『ボッコちゃん』時代か)がある。星新一先生はご近所にお住まいだったのだが、これも、彼の、そういった経験からできた作品のようだ。

 私自身、自分の病気を自分で100%理解してはいない。鬱病に罹ってから長いのに、鬱病で気力がなくなるということを知ったのは、実は十数年前だ。それまでは苦しいだけで、できないできないと思っていたものが、やる気さえもなくなり、ついに人間として駄目になったかと思った。

 当時の主治医(DSM翻訳者のひとり)に、これも鬱病の症状だと言われたのだが、他の症状が出ている“正真正銘の患者”であると思っていた私でさえ信じられなかった。実は自分も、弁護士をしている友人と、さして変わりがない。

 詐病する人というのは、どーせ判らないんだからと逆手に取っている感じだ。風邪だと嘘を付いても発熱や炎症もなくウィルスも検出されないとなればバレるけど、精神病なら、そういう“物証”がなくても病気だと名乗れる。

 つまり、厄介なのは、頭の中では存在を理解できるのに、それを五感で理解できないという、まるで原子の世界か天体の世界にしかないようなものが、一般人が暮らす日常生活の中に、しかも病気としてあるということだ。

  私の場合も、まったく精神的に健康という極端な考えはないものの、その根拠は、薬で気分が変わったから程度のような気もする。そして、それゆえに、すべて病気のせいにするのは詐病のようで嫌だというところがある。

 正直いって、できないことの、どこまでが病気のせいで、どこからが自分の努力が足りないからで、どこからが才能不足なのか、自分でも把握できないのだ。加えて私は自分を信じていない。なので、やるだけのことはやったと、自分で胸を張れないのだ。

 病気の症状が出ていなかった学生時代は、全力を尽くしたから結果が満足のいくものでなくても悔いはないとか、努力不足で、知っておくべきもっと適切な表現があったのに知らなかった(冒頭の"get accostomed to"と真逆)などということがあったが、そこに、病気という要素が入っただけで複雑化している。

 なので、本当は病気でできないのに、自分の努力が及ばないのではないのかと思っているのかもしれない。繰り返すが、今の私は、自分が全力を尽くしていると信じることができないのだ。

 ここまで考えると、自分に自信が持てないことも病気のせいという気さえする。病気という1要素が加わっただけで、まったく、どこまでが何のせいか、皆目、見当が付かなくなっている。

 そして、ここのところ苦しんでいるのは、本当は病気のせいでできなかったことも、自分のせいだと思っていたのではないかと思い至った次第だ。

(あぁ、結論を急ぎたくなかったのに時間がない。)

充実しない1日。

 朝から頭を悩ませているのが、何もできないということだ。どうしても起きられない。無理して起きるが、何もする気がしない。一昨日、労働時間は1日8時間、週5日というのが妥当などと書いておいて、午前9時に机に向かえていない。

 そして、無理して机に向かったところで、何もできないのだ。これも、私は、同じエントリーで、やる気さえあれば黙っていてもやるはずと書いている。まったく、自分が思っている通りに動けない。

 「理想」の反対語は「現実」… この言葉を習ったとき(おそらく小学生)、私は、なんか腑に落ちなかった。理想の反対語は現実よりも悪い事態ではないのかと思ったのだが、今になると、それが現実であることが、よく判る。

 言葉を習うといえば、“生存権”の定義「健康で文化的な最低限度の生活」ではないけれど、“健康”の「肉体的精神的かつ社会的に完全に良好な状態」という定義も、なんとなく理想である気がする。そう思うと、たしかに、現実とは、それとは対極にあるものかもしれない。

 これも何度も書いているが、他人を嫌いになっても付き合いを最低限にすればいいが、自分を嫌いになっても付き合いを止めるわけにいかない。ベストを尽くそうと思うが、そのときには、すでに、夜である。

 今日、読む予定だった本が机の横に2冊転がっている。そして、まだ観ていないTVドラマが2本。心臓が針の筵の上で転がされている感じがしたときの主治医に、TVを1日に5分も観られないというと、そんなものは観るなと吐き捨てるように言われた。

 本1冊を5分で読むことはできるかもしれないが、1時間のTVドラマを30分で観ることは、なかなか難しい。私が学生の頃、まだVTRはリニア編集だったのだが、ニュース番組などで10分のVTRを5分で編集するのを見て絶句した。

 まぁ、夜になって1日分のことをしようと思わずに、朝から普通に淡々と物事を熟せばいいのは判っている。判っている、けれどできない… なかなかのジレンマである。最近、このBlogの読者の方に、やってんね~ といわれていたのだが、ごめんなさい、やっぱり私はヒューマンダスト。

喫茶店と銭湯は似ているかもしれない。

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撮影データ
日時:2019年2月12日・14時50分
ボディ:PENTAX K-3
レンズ:smc PENTAX-DA★16-50mmF2.8ED AL[IF] SDM の50mm端
絞り:f4.5 (Auto)
SS:1/200s (Auto)
感度:ISO 100
プログラムAE

 

 

 渋谷から先ほど帰った。今朝は寝が浅かったものの、普通に目が覚めて普通に寝不足だった。感覚としてはサラリーマンのそれだ。

 しかし、どうも外に出るのが怖い。ふざけてネットで「外に出るのが怖い」で検索してみたら人が怖いと出て、いや、そうではない。

 結局、家を出られたのは午後2時過ぎ。読むための本と、テストするために新しく買ったカメラとレンズ(いずれも中古)W-Fi SDカードを持っていく。

 カメラはネットオークションで買って、思ったよりコンディションが悪かった(というか使っていない割に扱いが雑)が、レンズは変ないい方だが新品よりも新品に近かった。

 

 渋谷ヒカリエで試し撮り。意外とピントが遅いというかモサッとした感じ。しかし、カメラが悪いのかレンズが悪いのか判らない。

 レンズの描写は絞り開放からシャープ。ボケも癖がない。逆に絞ってもあまり変わりがない。ただ、大きい。どうしたらフィルター径が77㎜などとなるのか。

 そしてブラッとビックカメラに入ったら、このボディーとレンズがちょうど入るカメラケースを発見。マンフロット(ブランド名)だし。危険危険。

 そして、いつも行っている喫茶店に行く。外国人が店の前で記念写真を撮っていて、ほとんど観光地だ。

 外国人には日本の純喫茶とかオーセンティックバーというが珍しいらしい。ネットの口コミサイトにはタバコ臭いし騒々しいと書かれている、そういう店です。

 しかし、心臓が針の筵の上で転がされている感覚を覚えたときも、ここに来ると心が休まった。

 本当、シフォンケーキを作るためのブレンダーもカウンターの上でガーッと回っているんだけど、他のお客さん(若い女性2人)が、逆にこれがいいよね、などと言っている。

 入ったときは混んでいたのだけど、不思議と時間が経ったら客足が引いた。店員さんも、もっと分散して来てくれるといいんですけどね… と言っている。

 私も、なんか、いつも、行くと混んでいる時間に当たる気がする。それが、ゆっくりとコーヒーを飲んでいるうちに落ち着いてくる。

 30分もいないときもあるのだが、今日は2時間も、自分の世界に入っていた。ボンヤリとしていると気が休まり、なんか、むかし通っていた銭湯みたいだなと思う。

 調子が悪いから落ち着きを必要としているのか、落ち着いているから長居をしていても苦痛にならないのか。

 少なくとも、ここにいると、周りにたくさん人がいようと、騒々しくても、タバコ臭くても、不思議と苦にならない。銭湯で背中一面に入れ墨を入れている人がいても、たじろがない如く。そんな店だ。

環境こそ物の上手なれ。

 今になると、やっぱり昨日の精神状態は普通ではなかったと思う。昨日、あのエントリーをアップして所用を足したら午後10時になった。かくだん遅い時間ではない。しかし、私は日記を付けているのだが、何を書いているのか判らなくて止めた。1時間後でこうなのだから、昨日のエントリーは、勘弁してほしい。

 しかし、昨晩は冷や汗をかいて目が覚めるようなことはなかった。それなのに昼過ぎになっても起きられない。疲れ方が普通ではなかった。できなければ仕方がないと居直ってしまえれば楽なのだが、何かしなくてはならないと思う。そして恐怖に襲われる。

 以前、主治医に相談したら、安定剤を服んでリラックスするしかないと言われるが、いつも相談に乗ってくれている前任の保健師さんに、朦朧としてないときは、そういう感情に流されていないというようなことを言われて、たしかに頭がハッキリしているときは現実を客観視できている。

 きっと、理性の働かない意識の深層のようなところに、そのままではいけないと自分を非難する何かと、それに対する恐怖があるのだろう。頭が働いていれば、理性で、それを抑止できているのだと思う。

 頭では判っていても、その通りにできないのが人間というもの。逆に頭で判っている通りにできるのであれば、ヒューマンエラーが出ないからAIにでもやらせておけばいいんじゃないの? という気もする。

 これに関しては、さるタレント評論家が人間は全てアーティストになるという記事を書いていたが、最近、ネットニュースなど見ると、何を当たり前なということが注目を浴びていて不思議だ。先日、書いたブロガーさんも炎上しているし。

 ご存知のように、ここ数日、"Yu as URIGAYATSU" (@urigayatsu)というアカウントでTwitterを使っている(これも、個人アカウント以外でInstagramまで使ったのは、ちょっと正気ではなかったなと思う)。そこで、英語が話せる人は普通に1日2時間勉強しているというのが人気ツィートになっていたが、皆さん、高校時代、普通に、そのくらいは勉強していませんでしたか?

 これもかつて書いたが、好きなこと、やらなければならないと思うことがあれば、自然と勉強をしているはずである。別に英語を話したいと思わなかったり話せなくて不自由がないのなら、勉強しなくてもいいのではないか。

 また繰り返しになるが、私は高校時代、英語の偏差値は30だった。これは、本当に環境が悪かったと思う。高校の英語教師なんて嫌々やっていると平然と言い放つ教師、生徒(私)にまでパワハラを行ない授業を受けさせない後の校長、それを引き継ぐ親。そんな中にいれば勉強したくてもできない。

 実際、専門学校に進んで勉強を始めたら、全校で3番の成績で卒業できた。当時の神田外語の1学年の学生数は1,000人少しくらい? 入学試験の競争率は、だいたい2倍だったと思う。

 その大きな理由は勉強したかったからだ。私は英語こそ駄目だったけど、言葉そのものは好きだったので、面接があるから入学試験は通るだろうなと思った。これも書いた気がするが「学科試験以外の理由により」(要は内申書が悪いので)と書いて不合格の通知を送ってきた大学があった。

 高校で偏差値が30だったので、30クラス中、上から4番目のクラスに入れられて戸惑った。下のクラスに入れば基礎からやるのだが、上のクラスだと高校で習ったことは当然として扱われるので授業に付いていけない。最初の1学期は、どこをノートに取ればいいのかも判らず同級生にノートを借りた。

 しかし、あの頃が私の人生で一番楽しかった時期だったと思う。当時、私は麻布の仙台坂上というところに住んでいて、仙台坂というのは、なかなかの急坂である。それを、毎日、神田駅前にある学校まで往復、自転車で通い、内風呂がなく麻布十番の銭湯まで通っていたが、まったく苦にならなかった。

 英語の勉強も1日に6時間はしていたと思う。英語の勉強といっても単語を覚えることや文法を解析することだけではない。神田外語は、当時としては珍しく大学の3年時に編入でき(だから入ったのだ)英文学の基礎という感じの勉強をしていた。原書が読める状態で大学に入れば、絶対に高校から上がってきた人間より有利だ。

 家にいるときでも机にしがみ付いて勉強していた。それを、叔父は、仕事をサボって家までコソコソ様子を見に来ていて、勉強なんて嫌いなものに決まっているから1日に何時間も机に向かって勉強するなんて不可能なことだ、机に向かってボーッとしているに決まっているといって大学に行かせなかった。これは、何回、書いても書き足りない、この世の怨念のようなものである。

 ちなみに、当然、併設の神田外語大には入れるのだが、試験はあるものの、国立の二期校や早稲田あたりまでは入れそうな感じだった(慶應は自分の大学以外の単位を認めていない)。それを、叔父は、そんな人に言えない大学に行かせるかと言った。叔父は2浪して東京経済大の出身だが、逆に、私は、その名前を知らなかった。

 それも、大学に願書を出してから行かせないというのだから困ったものである。しかも、私は、全優の成績表を見ているのだから、勉強していると判ってるものと思っている。だったら真面目に就職活動したよ。けっきょく、入った会社は今でいうブラック企業だったのも、何度も書いている。

 午後9時ごろに、上司が、有くん、眠いでしょ? と言う。当たり前である。12時間も会社にいるのだ。そもそも、課長が午後9時まで会社にいう会社というのは、どうだ。そして、どうして、そう思いますか? と訊くと、目が座っているという。

 はっきりいって、そんな状態で、嫌々やっている仕事が上手く行くわけがない。1日8時間労働、週休2日というところに落ち着いたというのは、その程度が普通に仕事ができる限度なのではないかと思う。まぁ、私は勉強は好きだったので、寝ても英語のことを考えていたけど。

 けっきょく、勉強ができなくなるのも苦痛が生じるのも、元凶は不健全な精神なのだ。今日も、起きてから、疲れが取れずに横になってしまい、また恐怖に襲われた。本当に、これさえなければ、どれだけのことができるかと考えてしまう。

 やる気があっても、それができない環境というのは、怠けていられる環境より苦しい。というより、誰でもいい、たとえば錦織圭選手をトーナメントに出さないということを考えて欲しい。そして、おそらく錦織氏も黙っていても練習するだろう。逆に、やる気がない人は、好きでないことをしても苦痛には感じないのかなと、ふと思う。

激怒を通り越してEAPメンタルヘルスカウンセリング協会にEメールを再度、返信した。

※音が出ます

 

 今、新宿から帰りました。普段は新宿大通りを通るバスは、休日で歩行者天国のために歌舞伎町に迂回。TVドラマ「深夜食堂」のオープニングと同じアングル。多少、気は晴れました。

 

 昨日からの不健全な気持ちが戻らない。普段だったらチッと思うくらいで終わるのだろうが、腹が立って目が覚めたくらいで、今は普通のエントリーをアップできないほど怒り心頭だ。しかし、ここのところ書いている、人の弱みに付け込む人は、暴力団と同等くらいに取り締まってほしい。

 せっかく、真面目に普通のエントリーを読んでくださる読者が増えた矢先であるが、このようなエントリーをアップすることを、どうかご容赦願いたい。(感情的になり誤字が多かったのでアップしてから慌てて直しました。Eメールの文章も変だな。)

 

 実は、このBlogの初期のエントリーから何度も書いているEAPメンタルヘルスカウンセリング協会(元)会員のネットストーカーが、また行動を激化させたことに悩まされている。幸い、まだ私の新しい名前が瓜ヶ谷だとは気が付いていない様子だが、対応に困っている。

 少し前に「悪意がある嘘はパロディーではない。」というエントリーをアップしたが、そいつが、自分の名前を検索して、このBlogに辿り着いたら嫌だなと思い、そいつのTwitterのアカウント名が入ったテキストデータを画像にしてアップしたのだが、最近の検索は巧妙になっているようで、そいつの名前を検索すると、その、少し前のエントリーがヒットする。画像は削除した。

 EAPメンタルヘルスカウンセリング協会の者だ、体験を聞かせてもらいたいといって私のBlogの続きを書くように督促するが、そうしたら、エントリー一つ一つに、下のEメールの最後に引用してあるような嘘を加えたBlogを作成し、私のBlogを炎上させ削除に至らしめた。そして、どうやったのか本人の言葉で「遠回りをしながら執拗に調べた」そうで、私の本名・住所・顔写真まで掲載した。今、見たら「私は、結構しつこい性格であることをお忘れなく」と書いてある。

 私に近づいてきたのは、カウンセラーとしての親切心でもなんでもなく、単なる悪意からだったのだ。最初、本当に、その協会の人物か判らないので電話を架けてみたら、本日は出ておりませんが、たしかにウチにおりますとのことだった。私は心理カウンセラーというのは臨床心理士しか知らないので、それで気を許すとか助けを乞おうとは思わなかったが、悪意はないとは思う程度に心は弱っていた。

 当時のBlogは、今より激しい苦痛の中で書いたものだったので、その作品ともいえるBlogをを削除させられただけで激怒を通り越している。しかも、内容だけではなく、文体まで完全に改竄し、何を書いているのか判らない幼稚な人間だと書かれた。人格が崩壊しているとも書かれた。Eメールの引用文をお読みになっていただければ判るが、そいつの文章の方が何をいっているのか判らない。

 これも何度も書いているが私(の他にも2名)の本名などを暴いたのが自慢らしく、堂々と同協会の名前とともにベテラン心理カウンセラーといって自分の本名や顔写真を履歴書のようにしてアップしていた。容姿からして50歳過ぎだろうか。独自ドメインのサイトも持っているのだが、HTML1.0でタグも数種類しか使われていないページが3つあるだけ。黒字に緑の文字というセンスも、なかなかだ。

 そいつは"JUGEM"にBlogを開設していたのだが、削除依頼を出してもJUGEMは関知しないから勝手にコメント欄でやりとしてくれとの返事。そして、コメントしたら自分のBlogで反論すればいいではないかというので、私が閉鎖されたBlogの後に「はてなブログ」で開設したBlogで反論したら、シラッとはてなに削除依頼を出し私の新たなBlogを削除させた。そこで書いた分もパーだ。今もJUGEMには私の本名が掲載されている。

 協会に問い合わせるが、督促するも、しばらく回答がない。問い合わせてから3ヶ月後に、PDFという、いちおうは文章という形で回答があった。PDFを編集できない(名前を消せない)ので、かいつまんで書くと、調査しようとしたが本人がパスワードロックをかけてしまい、猶予を与えたが協力がないのでクビにしたとの報告。同文書の末尾は下のEメールに引用している。文中の○○というのが、そいつの本名だ。

 そいつはクビにされたのに同様な行為を再開した。そして、協会も、自分の協会の人間だと名乗るのを認めていたのにトカゲの尻尾を切って関係ありませんよというのは甘いと思うので、協会からの返事に対する私の返信(2度目)を、ここに掲載する。私のBlogをご覧になっている皆さん、この返信中にあるような文章を私が書くと思われますか?

 

EAPメンタルヘルスカウンセリング協会
理事長
 松田 直之 様

 

貴方のご返答PDFのに末尾に、こうあります。

> 本協会会員の言動や各種活動において不快な思いをされた事を深謝いたします。
> また引き続き関連した情報がございましたらお知らせくださいませ。

なのでお知らせしているのですが、一向にお返事がありません。どうしたことでしょう。深謝は言葉だけのものでしょうか。


○○は貴協会に在籍していた当時の下記文章を再び掲載されています。
私は、まず兄弟姉妹もおりませんし、貴会会員にカウンセリングを依頼したこともありません。すべてにおいて嘘八百です。
また、当時から、おそらく本人が気付かなかったのだと思いますが、他人に対しても同様な行為を行っておりました。
先日、私が○○の行動に気付いて掲載された本人に連絡したら削除されたので、おそらく○○の方に文句が行ったのでしょう。
このように、○○は、まったく本人が発言していないことを本人が発言したといって、その人物の住所氏名顔写真まで公開します。
これも、また、喉元過ぎれば再掲載するでしょう。
退会という処分は甘かったのではないですか。
協会に迷惑を掛けたのですから、私に掛けた迷惑に相応の償いを彼にさせるべきであったと思います。
私など○○に人格が崩壊しているとまで書かれました。
人格に問題があるのは○○で、金を払った代償(○○の言葉)としても資格を与えたのはメンタルを扱う団体として如何なものでしょう。
返答を求めます。

 


診察には基本的に母が同行してくれていました。
時々姉や妹も付き添ってくれてました。
母は精神科医の前では猫をかぶっているが、どうも医師と会話が噛み合っていない。毒を吐き、場を凍りつかせ、ただの勘違いから癇癪を起こし、もう結構ですから!と怒鳴りつけ、転院させると騒いだり、僕が考えてもないようなこと僕の意見として主張し(本当は母自身の意見)、医師が少し怒りだしたら、そういうことなんだってさ!聞いてあげたよと僕へ言う。都合が悪いことは僕のせい。
ある時、自分ひとりで診察室へ入り、自分よりも母を診ていただけませんか?と言うと、理由を聞かれ、話している途中で医師の反応を見て、真剣に語れば語るほど妄想だ何だと判断され信じてもらえないんだろうなと悟り、黙りました。
結局、自分への病気の疑いが深まり、それが確信へ変わっていくのでしょうね。馬鹿らしいです。 洗脳、陥れられる。
その日は薬を少しだけ増やされ、また症状が出てきたとか、この病気は一進一退するからお母さん落ち込まずに大丈夫ですよと医師は励ましという名の洗脳を施し、母は母で猫をかぶり、僕の話は誰も聞いてくれませんでした。
増量された薬を飲まなければ、医師は怒り、それが被害妄想だということが本当にわからないんですか?良くしたいと思わないのか?と言う、僕は至って正気で、良くするのは自分自身の問題、薬を飲んでも考えは変わりません。
母は入院させると言い出した。だけど問題なのは医師曰く、被害妄想があり増量分の薬を飲まないと言うだけ。
僕は自殺願望があっても一度もそのことを医師に言えなかった、家庭内で暴力もしていませんが、数年前父に殴られた時やり返したことがあります。
何年分の我慢をその一発に込めたか。それすら問題になるんですかね。
正直に打ち明けていたら、被害妄想、反抗、薬拒否、自殺願望、暴力行為大変!=入院になっていたのでしょうか。本当に馬鹿らしいです。」
ご覧のとおり、背景にはお母様との確執があるようですが、ご本人はまるでご自身の状態に対する自覚も反省も伺えません。
「僕は至って正気で、良くするのは自分自身の問題、薬を飲んでも考えは変わりません。」
ご自身の世界に篭ってしまい、外部との接触を絶っています。
ご本人にすれば、「精神科医に病気」と診断されたことが心外であり、ご自身の「考えを否定された」と受け止めておられるようです・・・。
ここまでに至るまでの過程は分かりませんが、拗れてしまっておられることは一目瞭然であり、状態は重症であると判断せざるを得ません。
かような状態になってしまっては処置なしです。
おそらく、書かれていることは嘘ではないのでしょうが、フィクションと現実がシームレスに融合したファンタジーになっているものと推察します。
ご本人にとっての耐え難い現実との折り合いがうまくつけられず、それを一連の「被害妄想、反抗、薬拒否、自殺願望、暴力行為」で解消、解決しようとするため、ご家族は振り回されてほとほと疲れきっておられるのでしょう・・・。

残念ながら、この状態ではカウンセリングのしようもなくお断りせざるを得ませんでした。

 

以上

 

 

 

参考・母体の「リカレント」というスクールのページ。松田直之氏の顔写真があり、検索順位も高い。このスクールの講座を修了すると同協会の資格が与えられるようだ。