身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

ストーカーに間違われた話など。

 今日は何とか午前中に起きたものの、寝ている間から苦しんでいて、起きたときにはボロボロという有様である(ちなみに私は名前が“有”なので、領収書などに「○○有様」などと書かれていると、俺って、どんな有様? と思う)。

 起きたときが、いちばん疲れていて、その後、音楽を聴いたり本を読んだりして少しずつ回復していくという変なプロセスを踏んでいる。そして、やっと机に向かって、このBlogを書き終えたころは寝る支度をする時間だ。サラリーマン並みに1日8時間、働きたいとは思わない。せめて8時間、起きていられたい。

 さて、昨今の、このBlogへのネットの反応を見ていると、他者への理解がないことへの言及が多い。「動画アップしちゃえ! は、ほぼ全てバカッターです。」あたりからか。自分だけの正義を振りかざしたところで、それは正義ではなくエゴである。

 私も他人にバカの壁を感じるように、おそらく、他人にも私を取り囲むバカの壁が見えているだろう。その壁を取り壊すのは、やはり、ファッショニスタこと私のシュリンクが言う「謙虚な心」ではないか。

 自分の先入観を取り除き、真に相手を理解しようという姿勢が学習の第一歩という気がする。最近、マルチ商法まがいの人が「学び」・「気づき」などといっているのを、かなり胡散臭く感じる。

 他人に指摘された時点で、それは気付いたことにはならないし、学習意欲というのは金を払って手に入れるものではない気がする。私からすると、そういう人は、義務教育を、もう1回やっていろという話である。

 任侠社会みたいに閉ざされた世界ならまだしも、一般社会において、自分だけにしか通用しない正義を振りかざしている人を見ると、ミットモネェなと思う。そして、少なくとも自分が作っているバカの壁、つまり自分だけが常識だと思っていることは取り払わなければと思う。

 さて、以前、神田外語の卒業パーティーPUFFY大貫亜美さんに逃げられた話が受けたので、それに類する話を、ひとつ。女優の西田尚美さんにストーカーに間違われたことがある。

 当時、私は60㎏の体重が半年で120㎏に倍増し、それは英語を使った電話のオペレーターという職業から来るストレスからだと思うのだが、失業してから、ダイエットのために白金の自宅から代官山・代々木・初台を通って新宿まで歩いていた。

 途中、代々木の奥の方に、趣深い低層マンションがあった。東京における、そういう建物は、だいたいが一戸建てを建て直したもので、都心に家を構える人たちだから、趣味の良い石像や灯篭などがあったりして、それを残してある。

 ほうほう、と思って、しげしげと石像を眺めていた。なんとなく、八丈島とか、東京の島嶼部にありそうな置き物で、しかし、何の像だか、よく判らず、像を前に数分間、考え込んでいた。

 そこに帰ってきたのが西田尚美さんで、思いっきり怪しげな顔で見られた。それ以上、何か言われたわけではないのだが、当時はネット黎明期でアーティストと呼ばれる人たちも公式サイトは自分たちで作っていたので、思わず、そこの管理人さんに、どう思われているのか訊いてしまった。

 結局、何もなかったのだが、その管理人さんが管理する別サイトに物を書かせてもらうことになった。そして、書けなかった。自分から言い出して約束したので、無理して書いたものを送ったのだが、小学生の作文ではないなどと、ボロクソ酷評された。ちなみに、その人の本業は映画監督である(今は自由業)。

 何度も書いているが、読者のいない文章は文章ではない。バカの壁を作らない、読者に対して誠心誠意、言葉を尽くす。今の自分ができているとは思わないが、少なくとも、そうありたいという思いは、このころに芽生えた考えかもしれない。

 シティポップな文学は書かないと偉そうなことをいいながら、さっそく自己矛盾である。こういった話は東京に住んでいると暇がないし、20歳代の若いころ、そういう話を面白おかしく書いていた時期があったが、最近、文章でも、堂々と表玄関から入りたい気分になっている。