身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

医者に大切なのは謙虚な心。

 昨日は週に1度の通院の日だった。同じことを何度も書いているし、今回のことも雑多な文章はFacebookに書いているので、ここでは主治医の言った医者のあるべき態度についてのみ書く。

 前任の主治医のときに心臓が針の筵の上で転がされている感覚がしたのに「ゴロゴロしたいための言い訳」と言われたことは何度も書いた。それだけ口惜しかったのだ。

 それは身体が拒絶しているのだろうとのことだが、今回は、病状や原因ではなく、そう言って憚らない前の主治医に対しての、今の主治医の言葉について書く。

 普通、医者というのは、そういう風に教育されるものなのだけど、彼は患者の言うことを謙虚に聞く、その謙虚さが足りないんだろうな…。

 患者が起きられないというのは、起きたくないと言っているのとは違う。患者の訴えを謙虚に受け止めないのは、単なる決め付けで診断ともいえない。

 それを怠けたがっているというのは、自分がそうだから言ってるんじゃないですか? そんな風に他人を見下すような人間は、その程度の人間だと思って相手をすることです。

 私は、このBlogで、よく「溜飲が落ちる」という表現を使うけれど、なんか、そう書く以上に救われた気がした。Facebookで友人に、気持ちが楽になったでしょうと書かれたが、本当に、スッと気持ちが軽くなった。

 よく、手当ての語源は手を当てることと言われるけれど、本当に、今回は、主治医の言葉で心の傷が癒えたような気がした。今の主治医は、自分のクリニックのホームページに、次のような文章を書いている。

私が目指しておりますのは、些細なことでも、 重篤なことでも、困っている患者さんをトータルな意味で健康な状態に進めていくことです。 そしてその結果として、出来れば問題の起こる以前よりも健康になっていただこうと考えています。

 以前よりも健康… なんか、この先生なら、それができるのではないかという気がした。

 ふと図書館で借りてきた本を見せて、この作家さんの本を読むと、同じように心が軽くなる気がするんですよねというと、そういう本は、どんどん読んでくださいと言われた。

 やはり、言葉には人を追い込む力も、救う力もある。その力を見せつけられて、私も、そういう力を持てたらいいなぁと思い、書き手の言葉に耳を傾けるため、今日も机に向かっている。