身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

元日の手紙。

 あけましておめでとうございます。昨年中も、このBlogをお読みくださってありがとうございます。特に昨年末は嬉しいフィードバックが寄せられ、作者冥利に尽きます。

 私が新年初めてしたことは、前任の保健師さんへ手紙を書くことでした。何度か書いていますが、今の担当の保健師さんが役に立たず、保健所にいた前任の保健師さんが見かねて助けてくれています。この人がいなければ私はグレていたと思います。

 その手紙こそ1年の計という感じがするので、ここに転載いたします。しかし、起きぬけに書いたから文章が変ですね。あと、私は、なるだけリズムを持って読んでほしいので、普段の文章は読点を多く使っているのですが、これも考えなければですね。

 

謹賀新年

 明けましておめでとうございます。旧年中は感謝してもしきれないほどお世話になりました。

 年末は、楽しむほどの余裕はありませんが、母と年末年始を楽しむことは日常生活とは別個のものと考えることで、ある程度、落ち着いて過ごせています。

 しかし、母を他人だと割り切ると、他人に対する気疲れというものが発生します。母、起きたらボロボロに疲れていて、昼間、疲れて起きているのが辛いのに眠れません。

 母は、良い年末だと言っていて、私の努力も功を奏したと思っていたのですが、しつこく叔父を呼ぼうとします。叔父は、私が眠剤で寝ていると言っても、酒を飲んで早くに寝てしまうので夜中に起きて大音量でテレビを付けるので、私は休まるときがありません。

 早々に帰りたいのですが、母が銀行預金が通帳の記帳や降金ができなくなっていると言うので、仕事始めを待って銀行に行かねばならず、それまで帰る訳にはいきません。

 疲れているせいか、母の買い物に付き合っても、人工関節を入れてフラフラになった足で買い物に行く母や、寒空の下、1個数十円の野菜を売っている八百屋の女の子などを見ると、そんなこともできない自分にとって、生きていくということが途方もないことのように思えます。

 昨日の大晦日は、疲れで振戦まで起こったので、2ヶ月半ぶりに酒を飲みました。そのせいか、今朝は、また恐怖と不安で目が覚めました。サラリーマン時代は病気で何時クビになるか判らないので給料の3ヶ月分は貯えていたのですが、今は、母から今月の生活費が貰えなかったら、そして、その可能性が非常に高く、今月1ヶ月すら生活ができないと思うと怖くていられません。

 他方、少しは明るい兆しも見えています。1ヶ月ほど前、ツィッターで私のBlogを「超絶文章力」「命と文学」と評価してくれた人から、新たに「精神の苦境の中で光を求める姿勢が全然ぶれてない」と私のBlogを紹介してくれました。

 私がブレにブレていることは○○さんも嫌というほどご存知だと思いますが、もし、私の文章の中に「光を求める姿勢」が感じられるとしたら、それは○○さんのお陰以外の何物でもありません。

 越権行為を承知で私のことを助けてくれる○○さんの努力を無にしないため、そして何より自分の人生を良くするため、今年も頑張りたいと思います。

 こう書くのは、おこがましい気がしますが、今年もよろしくお願いします。不一

 

2019年元日・松戸にて