身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

金を貸すとこ、奢ること。

 東京は今朝から台風による雨。午後になって上がったものの、新しく買ったカメラレンズで渋谷の街を試し撮りに行こうと思ったのだが曇天なので止める。高いところから俯瞰したものを撮ろうと思っていたのだ。

 昨日のイライラが、外に出られないクサクサに変わった。本を読むのも、じれったく、音楽を聴いてもヘッドフォンを投げ出したい気分になる。机に向かっても作業ができない。

 そして、あぁ、昨日の携帯の契約事務手数料と、メルカリで相場の半額以下で買ったとはいえ携帯電話の端末代と、前述のカメラレンズ…。散財したことに頭を悩ませる。買いたいときが買い時というが、買ったことに対する後悔はない。

 ただ、今月は洋服などの買い物をしていないのに、収支トントンといった家計に直面しているのは事実だ。今回の買い物は、まだカードの請求が上がっていないのだが、カードで支払った分というのはExcelで管理していて、ちょっと足してみたら驚いてしまった。

 そして、もう、とことん家計を詰めるしかないと思った。幸い、携帯電話用のSDカードなどは、以前、余分に買ったものがあるので買わなくて済む。精神病から来る買い物依存で、ずいぶんと浪費したが、意外と無駄になったものは少ない。

 しかし、もう、食料品も、備蓄のカップ麺を食べているくらいである(賞味期限が切れてしまうという別の事情もある)。喫茶店に行く回数も減らして、あとは、何ができるかを考えた。

 そして、思い付いたのは、自由業の人が年末に請求書を書きまくるように債権を回収することだ。そして、頭痛の種だった友人への借金を返してもらうことにした。

 借金といっても飲み代なのであるが、数軒、梯子したので、それなりの額である。次に飲みに行ったときに返すというのだが、もう何ヶ月も誘っても来ない。

 これは、飲む機会を作らないで返さない気だな… と思い、思い切って、半額でいいから振り込め! とLINEした。そうしたら、判りましたとのことだが、なんだか後味が悪い。

 私は、金を貸すときは返って来ないものと思っている。ただ、社会に出たばかりのころ、カメラマンの友人が機材の修理代が必要だというので財布を渡したら、20万円を取られたので10万円は返させた。

 まぁ、残りの10万円は、数年前に、ふと1万円が使っていない銀行口座に振り込まれていたのに気が付いただけであるが、諦めている。ただ、酒が入ると、気が大きくなるというより訳が判らなくなる。

 一方で、私も返さなければならないという負い目があるので、なるだけ借りない。借りるときは金融機関から借りる。借りるといっても財産を家財に入れるので、質入れと変わりがないのだが。

 社会に出て、同僚がキャッシングというものを普通にしていて驚いたのだが、私はキャッシングというのはしたことがない。キャッシングは単に返済をロンダリングするだけで10%以上の金利を取られるのだ(今は住宅ローンの金利でも1%以下でしょ)。

 かつて、このBlogにも書いたが「100回オジサン」なる人物がいた。私には、親が私を迫害しろと電話をしてきていると煽り、親には、私が怠惰な暮らしをしているから、もっと厳しくすべきだなどと吹聴していたのだ。友人曰く「二重スパイ」である。

 情報操作が巧妙なのである。互いに互いの敵対心に上手く火をつけ、直接、対話をしないようにして真偽のほどが確かめられないようにした。そして、互いの味方の“ふり”をするのだ。

 その味方の“ふり”のひとつが金を貸すことだった。私は、本当に親から兵糧攻めに遭っていて(私は働けないのではなく怠けて働かないのだと私の親にチクッていた)食うにも困るような生活をしていた。そこに、100回オジサン再び登場である。

 金を貸すから飲みに付き合ってくれと言う。食い物にも困っているくらいで返済能力がないと言うと、返さなくていいと言う。気味が悪いが、当時は「味方」だと思っていたので、奢りなのだと思って、ありがたく付いて行った。

 そういうことが月に2・3度、1年くらい続いた。額としては8万円ていどか。そして、100回オジサンの実態が判り、私は絶交を言い渡した。そうしたら金を返せと言うので、奢りだろうと言った。

 そうしたら、100回オジサンは、自分の親と結託して、私の親から金を騙し取ろうとしたのである。私に金を貸して月に1万円ずつ返すと約束したのに反故にされたと言うのだ。

 100回オジサンのおかげで親との溝は広がっていたので、まさか私に話が伝わるとは思わなかったのだろう。しかし、何かの拍子で、それがバレた。これも、100回オジサンは、私に、自分の親は会社を経営していて左団扇なので安心して受け取れと言ったのに、100回オジサンの親は、私の親に、年金生活で1,000円が出ていくのも苦しいと言ったそうだ。

 本当に金を貸したとしても60歳の息子のことに親が出てくるのか。それに、もし、それで自分たちが苦しいと言うのなら、毎月50万円の不労所得がある60歳の息子に30万円など渡さなければいい。100回オジサンの親も私に話が伝わるとは思っていなかったのだろう。まったく、この息子にして、この親である。

 しかし、私は「集(たか)られ体質」であることも否めない。集られるというより、付け込まれる。お読みになっている方はご存知のとおり、私が情動不安定なときは、けっこう多い。

 この前、眠剤を服んで寝ているところ、、数年、連絡がなかった女性から午前2時に電話があり、何事かと思って自転車を飛ばして行った(タクシー代など持っていない)。

 そんなボンヤリした頭でコンビニATMに連れて行かれ、さらに、その友人も呼びだして酒を奢らされた。とりあえず私にできることは、行きつけの店だったので、出禁にしてもらう程度だ。

 その店自体、お人好しで、某一流企業の社長が部下の飲んだ分も自分にツケておいてくれと言われたのだが、本人が来なくて部下だけが来なくなってしまった、請求書を送るのが嫌だと言っていた。ちなみに銀座の一流店(金ではなく格として)である。

 そんなこともあって、高校生時代からパー券を捌いて金を儲けるような若者というのが、経験豊富というか処世術に長けているような気がして羨ましくもあるのだ。将来に不安がないのかと書いたが、なにか、巧く世の中を渡っていけそうな気がする。

 

P.S. 飲み代を返してもらった顛末。「厭世観。~借金取りたての顛末~」