身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

それで将来に不安はないの?

 昨日は宅配便(郵便含む)が3件来ることを口実に外出せずに家にいて、酔い潰れて1件しか受け取れなかったのだから、本当にヒューマンダストである。受け取れた1件も、酒を買いに行くところで顔を知っている配達員に声を掛けられたというヒューマンダストぶりである。

 そして、いつまでも、その場しのぎに酒を飲んでいるわけにはいかないので、また、今朝から再び長期的な目標に向かって活動を始めている。それでも、また、きっと酒を飲むのが、ヒューマンダストの常である。しかも、今日は、3食すべてが外食というヒューマンダストの鏡のような食生活である。

 

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朝食・ドトール

 

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昼食・しぶそば

 

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夕食・てんや

 

 3食中2食が揚げ物、しかも天婦羅という、お前は主婦になったら、どんな献立を考えるのだといいたくなる。しかし、朝、ドトールなのは言い訳ていどの理由があって、写真をラボに出しに行くついでに立ち寄ろうと思っても、早朝からやっているのはドトールくらいなのだ。

 長期的な視点で根本的な解決方法をと思っても、思いつくことは本を読んで勉強することくらいだ。ドトールで、サクッと鷺沢萠『少年たちの終わらない夜』を読む。作中にパー券を売って金を稼いだり留年したりする人物が出てくるので、てっきり大学生の話だと思っていた。

 しかし、文中に「麻布」という言葉が出てきて、どうも地名の麻布とは違うと思い始める。解決しないまま読み進めると、同列に「K女」や「S」という言葉が出てきて、これらが麻布中高や慶應女子、世田谷学園を指すということが判るのには、そんなに時間が掛からなかった。

 鷺沢先生は私より4つ上である。どこかで自分たちの年代は「我々の世代」なんていう言葉で括れるようなことはないというようなことを書いていたが、これは、我々の世代、しかも渋谷で遊んでいた人にしか通じない話のような気がする。

 高校を出ていないから、こういう表現も変だが、私は、一応、2浪している。最初の1年は大学入学資格を持っていなかったので、浪人というのはどうかと思うが、まぁ普通に高校を出た人たちの1浪目と同じ歳である。周囲の人間は大検を通るのか心配していたというが、入院していた病院から受験しに行って、普通に取ってしまった。思ったことは、高校が早く辞めさせてくれなかったから取るのが1年遅くなったということだけだった。

 さて、浪人1年目(?)は、お茶の水にある駿台予備校の本部に通っていた。中学時代に駿台に通っていて、なんか、それ以外の選択肢は考えられなかった。そして、2年目は、代々木にある無認可の小さな予備校に通った。昔のエントリーで書いた、ヒューマンダストの風上にも置けない人間の強い勧めで、今になると素直に聞いた私が馬鹿だったと思う。

 そこは、この本の登場人物のように、高校を何年留年しても平気、浪人生なのに渋谷のクラブに入り浸って酒ばっかり飲んで何浪もしているという人たちばかりだった。価値観の相違以前に、私には家に監禁する親がいたり、遊ぶ金がなかったり、同じ土俵には立てなかった。しかし、駿台に通っていたときも、私立高校の出身者とボーリングやカラオケ程度には行ったので、それからすると、中高一貫校出身者の、そういう行動というのは想像に難くない。

 そんなことに思いを馳せているのは、先日、行ったライブ・バーでの話が頭にあるからだと思う。マスターに終演後に話をしようと言われて話をしたのだが、そのマスターが、金を稼ぐことなど、どうでもいいから、自分は頑張っている人に場を提供したいと言う。前々回の下手な人ばかりの出演を思い出し、私が、本当に頑張ってんですかねと言うと、マスターは、頑張ってますよと言う。

 他人からの情報だが、そのライブ・バー「カッコつけこそ物の下手なれ。」というエントリーで書いた、音楽を舐めているとしか思えない女の子のワンマンライブをやるという。私が、情報を齎(もたら)してくれた人に、あの、下手な子ですか…と言うと、昔は上手かったんだよと言う。それは、年々、下手になっているってことではないか。

 この、採算を度外視という態度が、なんとなく、パー券を捌いて金を儲ける高校生と重なるのだ。はっきりいって私が抱いている感情は羨望である。「下手な子」は勤めているということなので、まだ、音楽は趣味だと割り切ることができる。しかし、学校にも行かずパー券を捌いて金を稼いでいる高校生と採算度外視のライブ・バーのマスター、私には、両方とも、遊びにしか見えない。そんなことをしていられる生活力が羨ましい。

 私は今でこそプータローだが、かつて、残業に明け暮れる毎日があった。金は入るのだが、例えばシャツにアイロンをかける暇がなくてクリーニングに出していたり、金は入っただけ出ていった。遊んでいる時間も金もなかった。いわゆるワーキング・プアである。

 私がパラサイトしている親も90歳だ。この生活が長く続かないのも目に見えているし、将来への不安というのは消えない。今、やっているのは、そのときに備えての努力である。ある意味、切羽詰まってやっているといっていい。そういう身には、そのような暮らしをしている人たちが、先行きに不安を感じていないかのように悠長に構えているのが、羨ましく思えるのだ。