身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

自虐趣味は終わらせないと。

 Facebookでも自分のことをヒューマンダスト・ヒューマンダストと書いていたら、クズに甘んじていては駄目だというコメントをいただいた。今回は、不幸自慢をして有り難いと思えという人たちとは違って、そのような状態では親が死んだら食うに困るだろうという思い遣りが見て取れる。

 ネガティブなことを書いて、それよりマシな環境に置かれているくせに… と書く不幸自慢の人と違って、この人みたいに、自分は、やることはキッチリやってるから、同じ程度の能力を持っている私なら、それができるはずという、私の能力を買いかぶりくらいに思ってくれている人は建設的である。

 ただ、以前、書いた余裕派の話ではないが、おそらく、文章が余裕綽々なので努力していないと捉えられたのだろうし、それは、胃潰瘍が嵩じて死ぬ漱石ですら余裕派といわれるのだから、仕方がないことである。私が余裕コイていた文章を書いているのは漱石が自ら余裕派と称したことと同じというのは、はなはだ僭越ではあるが。

 さて、このままでは駄目だと解っているのだが、机に向かって悶々としている。机に向かっているだけで、何もできないのだ。そして、冷蔵庫には、以前のの残りのビールが入っている。そんなときにヘラヘラしているときに、「はてな」の記事ピックアップに取り上げられたことは、はなはだ心外だが、やはり、いっときはアクセス数が上がっても、そういうものは長くは読まれない。

 

 しっかりしなきゃと思いながらも酒に逃げたい弱い自分がいる。