身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

私の人生、そんなに悲惨なのだろうか?

 今日も朝から調子が悪くて臥せっていて、どこにも行かなかった。まぁ、この時勢、健康であっても行くところなどないのだろうが。コロナ禍の前から、ほとんど、どこにも行っていない。飲食店も、ドトールを除けば行きつけの喫茶店のみ。ちなみに牛丼屋は行かない。

 食事も粗食。朝はトースト、昼は冷凍食品かカップ麺、夜もトースト。1日1,000円、掛かっていない。3食の食費と日用品以外の金は、ほぼ喫茶店のコーヒー代のみ。かつて、変な人物に関わって買い物依存症的になったことがある。また、親に不条理な借金を背負わさせれて月に3.5万円を返済していたことがあった。

 私の収入は月に6.5万円(障害基礎年金2級)である。クレジットカードをリボ払いにするしか方法がなく、それだけ質素な生活をしていてもカードの引き落とし日が過ぎると通帳に記されている数字はマイナス(自動融資のカードローン)ということもあった。次の年金の振り込み日まで、ひもじい思いをしなければならなかった。

 こんなことを書こうと思ったのはBlog友達のBlogに似た記述があったこともあるが、精神科医kyupinのBlogに私の生活に近い記述があったのを思い出したからである。

ameblo.jp

 

 ちなみに私は、このエントリーで触れられている

例えば1級でなく2級であったとしても(6万5000円程度)、生活保護が受けられない人がいる。例えば親からの遺産などで貯金がある人である。

例えば両親が亡くなり、財産分与で2000万貰った人がいるとする。この場合、もちろん、生活保護の対象にならない。

 に該当する。ちなみに風呂には入っているが、水道料金はミニマムで2ヶ月に3,806円である。88歳要介護2といえど母親が存命で(父が死んだが遺産は入っていない)、親名義とはいえ持ち家(アパート)だから成立する生活である。

 さらに、kyupinのBlogには、こういう記述がある。

平凡な人生のワンピース、例えば、好きなものを買ってくるとか、美味しいものを食べに出かける、好きなスポーツを観る、どこか興味がある地方に旅行に行くなど、一般の人が自然にしていることができないなんて悲惨すぎる。(人生として成立していないほどの精神状態

 私が今の主治医に掛かったとき、名医と言われるかつての主治医との出会いもあり、まったくの悲惨な人生とは言えないと言われた(それがなければ悲惨だったというニュアンスで)。精神科医の基準からすると、私の生活は悲惨であるらしい。

 しかし、と思う。サラリーマン時代、私はけっこう旅行にも行っていたし、都心在住なので車は持てなかったがレンタカーを利用することもあった。ただ、そのときの長時間の労働などを考えると、好きなものを食べて好きなところに行けたとしても、果たしてどちらが悲惨だったのか、私には判らない。