身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

精神を病むということ、向精神薬を服むということ。

 実は、薬が変わってから恐怖に襲われるようになり、早朝に目が覚め、このエントリーを書いているのも午前5時である。ちなみに、一昨日、お蔵入りしていた小物特集のエントリーをアップしたのは酒を飲んで潰れていたからだ。そこで、酒を飲むことから派生して、精神を病んで薬を服むことについて書こうと思う。

 ちなみに、私の薬はサインバルタからストラテラに変わった。思い詰めて何か一つの事を一生懸命やりすぎるのはADHDの症状ではないかという主治医の判断からだ。ストラテラには抗鬱作用があるのでサインバルタの代わりになりうるということだった。

 さて、私を飲んだくれのように思っている人がいる。思っているだけならいいのだが、非難する人がいる。私は記録を付けていて、酒を飲んだのは7月6日以来なのだが、その人間は毎日のように飲んでいて、私が暗いことで酒を飲んだと非難囂々(ごうごう)なのに、自分は自棄酒を飲んでいる。

 私の経験では、重度(正しい表現ではないな…)な酒飲みほど他の酒飲みに対して厳しい。しかし、次の事実を挙げると、厳しいというのも正しい表現ではないと思う。

 ある日、私の友人が、映画「ショーシャンクの空に」の話をFacebookに書いていた。私が、ああいう風に気忙しい生活を離れて新天地で生活したいものだと書いたら「キミみたいに好きな時に酒を飲める生活をしている人間が気忙しい生活を離れたいなんていってはダメだ」という電話を“酒を飲” んで架けてきた。

 当時、私は病気で起きられず、酒を飲むどころの騒ぎでないことを知っていたはずである。さらに、自分で書いておきながら、その映画を観ていないと聞いて呆れた。

 さらに、1週間前に会社に勤め始めたとかで、毎日のように私に愚痴の電話を架けてくる。同僚の誰々が、こうだから普通でないと言うのだが、私が「君は会社勤めをしたことがないから判らないかもしれないが、その程度に変な人はザラにいるよ」と言うと、会社勤めをしたことがないという“暴言”を吐かれたと激怒する。

 それから1ヶ月たたず、他の友人から、その友人の住所を教えてほしいという電話が架かってきた。実は、彼、会社を辞めてしまって… とのことだった。どうも、その友人が就職の世話をしてやったらしく、面目丸つぶれという気持ちと、本人に訊けない状況を察することができた。

 本人から私に長いEメールが来た。数通目の冒頭だけ引用する。

努力云々に関してはもう日本一エライうつ病患者・無職様にお任せします。GIVE UP!私としては常常写真家になりたいのなら努力しなさいくらいの事しか言ってないのに・・・。君は君の脳内では一流写真家として君臨しているようなのでそこを突っ込んだりたが・・・。華やかなキャリアの持ち主で聖人君主のような人物しか言う資格がないようなので、もうどうでもいいというか、アホらしいというか。

「甘やかさない」→言うべきことをはっきり言うという趣旨

 

 省いたが、日本語として不自然な部分があるだけでなく改行も酷いところに入っていて、句読点が滅茶苦茶だ。私はカメラが好きで光学機器メーカーに入ったということは話したことはあるが、写真家になりたいとは話していないどころか思ったこともない。どうも彼は自分の「脳内」で私の最大の理解者として「君臨」しているようで、その自分の話が聞けないのかということらしい。他のEメールでは自己肯定どころか自画自賛していて、「甘やかさない」という言葉については笑止千万である。

 これだけ人を罵っておきながら、次の日には酒を飲む金を貸してくれと電話が来る。酒を飲むことは人間にとって生きていくうえで必要なことで、毎日、飲むのが当然だそうだ。それを知らずして金を貸さない自分の親を、まるで人間ではないように言っていた。

 長くなったが、これが47歳の「重度の酒飲み」の生活である。私も無職なので偉そうなことはいえないが、それでも、まぁ、毎日、机に向かって勉強しているし、金になっていないが知的生産もしている。それに、その友人自身、1ヶ月も続かずに無職の生活に戻っているわけで、他人に対する態度も、厳しいという表現とは違うということを理解してもらえたかと思う。

 私も精神障害者なので、そういう人のための区の施設にも、たまに顔を出すのだが、そこでアル中だったという他の利用者に出会った。元ホテルマンで、江戸っ子気質なところがあるが、それを除けば、振る舞いは紳士的である。

 それが、家庭内暴力を振るって一家離散したという。治療を始めたのは、それから時間が経ってのことのようだが、自分はアル中なので治療しなければならないと自覚したら、そこからは、すんなり治療が進んだらしい。前述の友人は、おそらく、そういう自覚はないだろう。

 数日前、私は「結界。」というエントリーをアップしたが、アル中経験者は、それから抜け出しても、私がそのエントリーで使った表現でいう「酒飲みの世界」に一歩でも再び入ってしまうと戻ってこられないといわれるが、彼は普通に酒を嗜んでいる。

 ちなみに結界という言葉を使ったのは、私の場合、酒飲みの世界に足を踏み入れてしまうと1日が潰れることが目に見えていて、時間を無駄にしたという後悔をするのが解っているので、それを超えるのには決意がいるからだ。

 人は、どんな時に酒を飲むのか。私が思い付くパターンは100%現実逃避である。

 現実逃避といっても逃げ出したい、耐えられない現実のレベルには差がある。最初に書いた私の友人(今では「元」友人だが)のように、会社に気に食わない奴がいる程度で酒を飲む人もいる。会社を辞めてストレスフリーな状態でも飲んでいるわけだから、退屈な日常という現実に耐えられないのかもしれない。

 しかし、後者の元ホテルマンは、一般の就労とは違うが、決まった週の決まった時間に福祉売店に立っている。私には、これが、耐えられる現実のレベルを上げようと努力しているように見える。それを上げようとしない、自分を教育しないで駄々をこねるように酒を飲むのは、私から見ればガキである。退屈しても、自分を研鑽しようと思っていたら、やることは沢山ある。

 かくいう私も、耐えられない現実から逃れるために酒を飲んでいる。今の主治医に、医者は診療拒否をしてはいけないが(他の医者には、かなりされたけどね)飲酒している人間は例外として扱っていいと思うと言われた。

 私も変な育ち方をしているのでルーチンワークという限られた現実では耐えられるレベルが低く、数ヶ月、働いただけで仕事が手に付かないという典型的な鬱症状が出る。主治医が、ピタッと嵌る何かが見付かれば人生が上手く行くように思うのだけどな… と言うが、自分の適性に合った仕事でないことは重々、承知だ。これは親との関わりと因果関係があるので、改めて書く。

 新卒で入った会社で、毎日が終電が終わってタクシー帰り、しかし次の日(実際には同じ日)の朝9時に会社のデスクに向かっていなければならなかったとき、どうしようもなく酒を飲んでいた。しかも、酔っ払って会社に行くと、今日は仕事が捗っているねと言われる始末だから、いかにシラフのときが酷かったか。

 そこで出てくるのが、合法・違法を問わず薬である。私は、合法・違法というのは、そんなに気にしていないし、酒も向精神薬の一種だと認識している。私が現実逃避のために不味い酒を嫌々、飲んでいるとき、飲みながら、あぁ、有機溶剤を飲んでいるなと思う。子供に飲ませられないのも、もっともだと思う。

 アメリカの禁酒法を悪法のようにいう人がいるが、健康を害しアル中患者さえ作るものだと思うと、そんなに悪い法律ではなかったのではないかと思う。禁酒法が崩れたのは、それが悪法だからではなく、作るのが容易だったから暴力団(マフィア)の資金源になったところが大きいからだろうというのが、浅学な私の認識であります。

 酒は今でも合法だが、ヒロポンが合法だった時代もあるわけだし、私も、今では処方できなくなった、アンナカやリタリンハルシオンベゲタミンといった薬を処方されていたこともある。

 これらの薬が処方されなくなっても、さして不自由していないし、今でも地下取引されているわけではないので、違法とされた薬でも酒ほど中毒性がないと思える。逆説的ないい方をすれば、酒ほど身体への負担が大きくなく効果が大きいから、それらの薬が合法として認可されるわけだ。

 普通、酒を飲むと認知能力や判断力が落ちる。向精神薬も同じで、服んで正常に車の運転ができない状態だと「危険運転」とされる。しかし、酔っ払ったら会社で調子が良いと言われたごとく、私も向精神薬を服むと正常に運転ができるようになる。(注・私は自動車教習所で指導を受け、医者の許可のもとで運転をしている。)

 最近になり、私のことを盛んに心配してくれる人がいて、何事かと思ったら、自分も病気になり、薬を服まないと体調が悪くなるということを初めて実感したのだという。また、冒頭で今朝は早朝に目が覚めたと書いたが、やはり薬で眠る友人が、そろそろ眠剤を服む時間なのでと飲み会を切り上げても理解されないと、嘆くというより諦めていた。

 他にも、私が起きられなくて自分の部屋から1歩も出られなかったときに助けを求めた幼馴染みが、当時は、精神病で死ぬほど辛いというのが解らないと言っていた。その幼馴染みは弁護士をしていて、当時は、交通事故に遭い激痛が走っている依頼人でも這って事務所に来るのに… と言っていた。

 弁護士をしているくらいだから、倫理観が強く、意思も強い。その幼馴染みが、この前、会ったとき、地下鉄に乗れないときがあると言っていた。午後5時くらいから飲み初めて、キッチンドリンカーさながらの状態だとも言っていた。

 

 このように、現実に耐えられなくなったとき、ふと精神を病む。それは、精神力が強ければ健康でいられるとかいうことではないし、そんなに珍しいことでもない。ただ、病んでみなければ、どんなものか解らないのかが厄介なところだ。

 今日は早朝に目が覚めたが、眠剤を服まないと、50時間以上、一睡もできなかったこともある。主治医に言わせると、覚醒剤でも服んでいない限り、いつかは寝ますとのことだが、その、いつかが来る前なのに、ボロボロに疲れる、耳鳴りというか後方からガンガンとハウリング音が聞こえる、もう、辛いのなんの。

 また、前述のように、現実に耐えられなくなったときに摂取するという意味で、薬を服むというのは、酒を飲むことと、そんなに変わらない。なので、薬を服んで、やっと正常になるということは、普段が不調で、酒を飲んで酔っ払った状態になり、初めて正常になるようなものだと思ってもらえればいいと思う。

 (なので普通の人間が向精神薬を服んだら、酒に酔っ払ったごとくフラフラになってしまうので、医者に処方箋を書いてもらって処方された薬以外、ましてや地下取引される覚醒剤などを服むのは止めましょう。)