身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

梯子を外さないで。

 このBlogの記事を見ると闇に落ちたのは3月14日。立ち直るのに4日間というのは私にしては早い気もする。

 さすがにトイレに行くだけしか起きられないというのは困りもので、酒を呷ってでも覚醒剤を打ってでも動かなければならないときがある。

 覚醒剤は合法的に手に入らないので、とりあえず酒を飲んだ。しかし、もっと身体に悪い向精神薬が合法というのは解せない現実である。

 かつて書いた気がするが、今の主治医は、アル中は好きな野球チームが勝ったと言っては酒を飲み、負けたと言っては酒を飲む、飲酒に理由は関係ないと言う。

 そして、訪問看護師に、酒を飲んだことを話したら、医者に訪問に入るのを止められるかもしれないと言う。この辺の経緯は泥酔していて覚えていない。

 訪問看護師には私からも医者に言ってくれと言われていたので話すが、主治医には、さほど咎められられなかった。途中、Enablerという単語が出てきて、それは何だろうということばかりが気になり、内容はさほど覚えていない。

 訪問看護師に話すと、その対応は何だだろう? という反応だった。1つは飲酒の危険性を認識していないということと、部屋の中に酒の空き缶が散乱しているわけではないからアル中ではないといことだった。

 アル中に関しては、区の精神障害者自立支援センターの職員にも同様なことを言われていて、快楽を求めるのではなく苦痛から逃れるために飲むのだから、好きで飲んでいるわけではないよと言われた。

 しかし、酒が嫌いになったのは何時のことだろう。私がクズ医者と呼ぶ前任の主治医のとき、心臓が針の筵の上で転がされている感覚に耐えられなくて酒を飲んだら戻してしまった。

 クズ医者といえば、今の主治医にも気分が悪くなって気絶するように寝てしまうことも専門外と言われたことについて訪問看護師も何だかなぁという対応。まぁ、クズ医者のように昼寝したいための言い訳と言われるよりはマシだが。

 それ以前に、酒を飲んで美味いという感覚を、もうかなり昔に失くしている。数万円もするウィスキーのボトルを数本、行きつけのバーに寄付したのは既述の通り。酒を飲む楽しみは知らなくてもいいかもしれないが、なければないで寂しいものだ。

 そして、苦しさから逃げるように酒を飲むようになった。アル中で死んでしまえと半ば自棄になったこともあるが、酒量が増える。

 これも酔っていてよく覚えていないが、前回、訪問看護師は、何らかの理由で訪問を打ち切られると思ったのに拍子抜けしたというようなことを言っていた。

 私は、もう独居老人に手が届こうとしている。孤独である。このBlogが文学であることを止めてから固定読者数が半減した。

 ファンもいなくなった。私の作品に感動してくれることが励みになっていた「ゆき」さんも、もういない。このまま次々と梯子が外されて、結局は独り取り残されるのか。