身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死にたくないわけではない。

 調べたら、昨日、酒を飲んだのは2ヶ月ぶりだった。もっと前から禁酒しているので、前回も今回もチートのようなものである。

 以前も書いたが以前の訪問看護師に止められている。ひとつは向精神薬を服んでいるからで、ひとつはリラクゼーションケアをしてもらっていて血行が良くなりすぎるから。

 向精神薬を服んでいることについては、今まで掛かった医者は、酒を禁じるのは少ない方である。その訪問看護師は、それで死んだ人が何人もいるのにと言う。

 もうひとつのリラクゼーションケアについては、やってから何日も経っているので大丈夫と思って酒を飲んだら血行が良くなり頭がガンガンに痛くなった。

 ロキソニンを服んでも頭痛は引かず、過去、医者に、よく生きているねと言われたことを多々しているが、なんとなく、これは駄目かもと思った。

 そして、まぁ、駄目なら駄目でいいやと思った。我ながら、意外と生に対する執着というのはないものだなと思った。

 以前、酒を飲んだとき、その訪問看護師に死にたいのかと言われた。この人は、例えば毎日入浴するという決まりが守れなくても鈍なのだが、酒を飲み始めると、まさか飲んでいないでしょうねと電話が架かってくるときがある。

 訪問看護師も一長一短があり、その訪問看護師ではなく、今、お世話になっている人は、入浴ができていないとか、Blogを見て精神状態が悪そうとか、そういう空気を察する方である。

 他方、以前、お世話になっていた方は、私が起きて恐怖を感じるとき、恐怖は起きてから入り込んでくる感じですか? などと訊いて、私が恐怖を感じていることを理解してくれる人であった。どっちを取るかである。

 話を元に戻すと、死にたいのかと言われたとき、別に死にたいわけではないが死んでもいいと思っていた。楽になれば生きていても死んでも構わない。つくづく生に対する執着というのがないものだ。

 なんか、最近、芸能人の自殺に端を欲する以外にも自殺に関する話題が多いので、ちょっと書いてみた。やはり私の周囲では苦渋の決断なのだからと受け入れる人が多い。

 

 最後に、自殺未遂をした経験者として信じてはいけない言葉を2つと信じたほうがいい1文。

 最初は

自殺をする人は死にたいほど生きたいのだ。

皆目、何が言いたいのか判らない。

 もうひとつは

死ぬ気になれば何でもできる。

いや、だから、死ぬ気になったら死にますって。これを言う人は死ぬ気になったことがないはずだ。

 そして、「死にたくないわけではない」人の1文。やらなければ死ねないということを作る方が、よほど生産的である。

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