身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

感情論。

 苦しい。朝は午前10時まで目も覚めず、しかし、手術した痕が布団に押し付けられて痛むのが判る。判っても目が覚めない。薬のせいか。皆さんのBlogが、ちゃんと読めなくて心苦しい。

 苦しいと誰かに訴えたくなる。精神障害者地域活動支援センターの友達に、今日は行けそうにないとLINEをする。別に行く約束をしているわけではないからLINEをしてこなくてもいいと返信がある。さらに、それは独り善がりだ思うのでLINEは止めたいと電話が来た。

 その人が誘ってくれというからするようになったのに勝手だと思った。しかし、ちょっとだけである。私が対人関係で不快なことがあるとお茶に誘ってくれた優しさもあり、同病相憐れむではないが、病気のせいで些細なことが不快になっているのだろうと察しが付く。(他の人に対する同様な愚痴を以前に言っていたし。)

 昨日、母から電話があった。こちらは体調不良で訪問看護を受けている最中だった。叔父に連絡が付かないということと、たまには私に電話をして来いと言う。

 これも、父の生前は、私が電話をすると私のことなど知ったことではないと電話をガチャ切りすることが30年近く続いたのに勝手なものだなと思う。

 それでも、昨日は私の体調が悪くて対応できなかったこともあり、今日、改めて電話をした。そうしたら、前々回、母の家に行ったときに、早朝、寝ていられずに飛び起きて病院に行ったことがあるので、そういう病気だと思っていると言う。

 父が死んだとき、相続の手続きに飛び回っている私を、私が遺産をブン取るために嬉々として飛び回っていると詰ったり、疲れて休むと勝手だと責めた母。同じ母の言葉だとは思えない。

 昨日の映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」ではないが、けっきょく思うのは、性格よりも感情によって人柄というのは変わるのではないかということだ。感情がフラットで冷静な判断ができたら… と思うが、そうしたら、まさに“機械的”になりそうだ。

 しかし、父の葬儀のとき、PCの使い方が判らないとLINEをしてきた人がいて、今、葬儀中なので対応できないと返信したら火葬中に電話を架けてきた人がいた。そんなことがありながらも、あいかわらずマイペースで、さすがにそれは勘弁してくれよと思う。

 先日、精神障害者地域活動支援センターの職員に私は他人に嫌われたくないという思いが強いというのが伝わってくると言われた。鷺沢萠著「バイバイ」の主人公のように、その結果、私は孤独である。

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