身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

私の話 Part 2

 父が亡くなってからは、とにかくバタバタしていた。今、日記を読んでみても、役所を駆けずり回ったとしか書いていない。覚えているのは、年金事務所に行ったことだ。葬儀屋に、不正受給になるから年金事務所への手続きは早めにと言われていたので年金事務所に行った。

 年金事務所は隣の駅の傍にある。葬儀屋に、必要な書類を電話で確認してから行ってくださいと言われたのだが電話が繋がらない。国の「ねんきんダイヤル」に架けたら、その場で年金事務所の予約を取ってくれて、予約時間に行く手はずをした。

 しかし、家を出るべき時間になっても、母がもたもたして出てこない。父が亡くなったときも、病院まで30分で来られる体制を作っておいてくださいと言われ、私は飛び起きて5分で着替えたのだが、母を待って家を出るのに2時間かかった。

 しかも、年金事務所まで電車で行くと思ったのだが、歩くと言って聞かない。電車だと駅構内の移動を含めて5分程度、歩くと30分以上かかる。それに加えて、高齢なのに普段は1日中、家で横になって酒を飲んで過ごして体力が落ちている叔父の歩く速度は時速3㎞ない。母も時速4㎞はないのだが、それでも、叔父を待たずにスタスタ行ってしまう。

 母と叔父の2人に目を配りながら、何とか約束時間ちょうどに年金事務所に着いた。書類を書いて呼ばれるのを待つ。私1人がブースに入って手続きをしたのに、こんな面倒なことは嫌だとゴネる。母の住民票が足りなかったのだが、市役所の支所まで委任状を取ってくる時間がないので、支所に母を連れて行って委任状を書かせた。

 母は「私はそれでいいんだ」と言って写真付きの身分証明を書を持たないので、母に委任状を書かせ私が自分の身分証明書を見せて住民票を取った。そして、私は閉庁時間前に年金事務所に戻って再申請をしなくてはならいので、ひとり急いで再び年金事務所へ行った。

 叔父は、母と私が市役所の支所に行って年金事務所に戻ってくるのを待っていると言っていたのだが、ビールを飲んでいた。他方、私は、朝から食事どころかコーヒー1杯、飲ませてもらっていない。駅構内の蕎麦屋でで蕎麦を食べようとしたら阻止された。

 帰りは電車に乗った。駅に併設されているイートインスペースのあるパン屋で何か軽い物を食べたいと言っても力ずくで止めようとするので、振り払ってパン屋に入った。朝、起きてから10時間で、その日初めての食事だった。子供のときは、手を振り払うと家庭内暴力だといって警察を呼ばれ近所に不良息子だとアピールされたものだ。

 そして、駅前のスーパーマーケットで、疲れているはずの母は私を付き合わせて2時間かけて買い物をした。叔父は、とっとと実家に帰ってしまった。母の買い物に付き合っている最中に、早く帰って来いと電話があった。母は、あれだけ私がコーヒーを飲むのすら贅沢だと言っていたのに、帰りはタクシーを使った。

 帰ってからは、父の入院から続く酒盛りだった。私は医師に酒を止められているが、飲まなければやっていられなかった。母と叔父が、父は子供や動物が大嫌いだったと言う。そして、私のことも大っ嫌いだったと言う。確かに、そうでなければ、あんな仕打ちなどできなかっただろう。

 翌日は、母が銀行に行くと言って聞かない。私が、銀行に行ったら預金がすべて凍結されると言ったら、凍結が解除されるまでの金はあるから平気だと言う。そして、銀行に行くとゴネるのだが、これまた、家を出たのが午後3時過ぎで、窓口が閉まっていることは目に見えている。それでも行くとゴネる。銀行の窓口が閉まっているのは判っているのだが、気が済むならと付き合って外出する。

 しかし、はやり駅前のスーパーマーケットで長時間の買い物。ケアマネージャーさんに言われていたので、ポイントカード代わりに持っていたイオンカード(クレジットカード)をWAONカード(プリペイドカード)に変えさせた。これも、クレジットカードのリスクを教えても、管理をしっかりしていれば良いと言うので説得に時間がかかった。カードにサインもしていない人間が、管理がしっかりできると言うのだから呆れる。

 次は母の通院同行。病院に、叔父から、酒を買って来いと電話。実家にはPCもないのでEメールが溜まっている。そして、これまた、母は地元のスーパーで2時間かけての買い物。仕事なら報酬が発生するが、その間に、何ができるかを考えると立腹しかない。

 

(Part 3に続く)