身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

自己中の母からの電話。

 私が住んでいるところは暖かい。寒いときは、朝、起きて、ガスファンヒーターを入れると、表示される室温が9℃などということがあるのだが、今日は13℃だ。あるいは冬が去っているのかもしれないが、今の私に季節に気を配っている余裕はない。

 さて、昨日は熟睡して冷静に物事が考えられるようになった気がするが、それでも書いている内容がグチャグチャで、何がいいたいのか判らない。長さも1/3で足りそうな気がする(今日は、日記を、ほぼ同じ内容で付けているのだが、そちらは200字ほどなので、このエントリーも400字くらいで書けそうだ)。大学受験のときに小論文の名手といわれた(自分で書くと恥ずかしいな)ので、自分の意見を理路整然と伝えるのは割と得意なのに、である。

 今朝は10時まで起きられなかったものの、昨晩も熟睡できた。死にたいという気持ちもケロッと無くなっている。本当に、向精神薬の作用や、それらを選択する精神科医は凄いなと思う。そういえばTVドラマ"SPEC"で「病を処方する医師」というのが出てきたが、患者を殺そうとする医師というのは本当にいる。今の薬で、毒を選ぶというのは、なかなか難しいと思う。これまた私は生還したが、死亡診断書の虚偽記載しか罪が問えなかったそうだ。これも以前、書いたことと重なるが、ネットでは不思議とマスメディアではない1件のサイトにしか残っていない。やはり新聞の縮刷版は必要だし、ネットに出典を頼るWikipediaは問題があるサイトといえよう。

 

 今日は、オピニオンなど書かず客観的事実を書く。管理組合長が暇なので郵便物がポストに溜まっていただけでグチグチいう人なので、私は、刑期中に私の家をどうしようとか、所得税はなくても固定資産税などの税金は? 障害者手帳や年金は?などと心配事が絶えない。考え出したら切りがなく、クレジットカードの更新など些末なことまで心配になる。幸い、運転免許証は5年更新で更新を終えたばかりだとホッとしたりする。

 頼りにしている前任の担当保健師さんや港区生活・就労支援センターの職員の方などの力を借りて、やっと、今週末に警察署に出頭することなどにフォーカスを当てて、先のことは、そのときにと考えられるようになった。

 生活・就労支援センターの職員に言わせると、私は携帯電話の発信人を見て、母だと判るとドキッとして、母の話をするときは激高しているそうである。確かに母の話をしているときは気が急いているのか少し舌が回らないなという自覚はあるが、電話を受けてドキッとしているという自覚はなかった。

 それが、今朝、母から電話があった。いつもは昼過ぎまで寝ている母なので、その時間に起きているのは珍しいなと思い、そして、やっと「ドキッとする自分」を自覚した。電話に出たくないと、身体が拒絶反応を示しているのだ。しかし、一瞬でも、私の身を案じてくれたのだろうかと思った自分が馬鹿だった。

 拘置されていないと確認し、私に今後のことを訊いた。在宅で起訴、裁判、服役なると説明した。そうしたら、その間、実家はどうなる、その間に確実に死ぬが(それは自他ともに認めるところだし私は待ち望んでいる)葬儀はどうするなどとと問い詰められたというより、やはり、これも詰られた。

 自分ですら不安なのだから、私は、なお不安だなどとは考えないのが母である。昨日、電話で立件される旨を伝えても、他人に迷惑を掛けたからではなく自分の顔に泥を塗ったからと責められた。これも前に書いた気がするが、税理士を使うと言ったら、税金など放っておけばいいのに、税理士を使うと税金を払わなければいけなくなると怒る母である。只同然だけど評価額だけは高い実家も入れると、相続した資産だけで4,000万円、さらに自己資産も結構ある様子だから、義務は、きちっと果たしてもらいたい。

 しかし、子供は私1人しか育てず、子供(私)ができてから退職しパートもしなかった母に遺産があるというのは、世の中は本当に不平等だなぁと思う。その遺産を残した父は国家公務員(のちに東京都)で、裸一貫というと語弊があるが、彼自身は親からの資産はない。それでも定年後も働かずに済み旅行三昧だった。途中で辞めた父すらそうなのだから、国家公務員を定年まで務めあげた人は、よほど貰っていたのだろうなと思う。真っ先にメスが入るはずだ。

 

しかしせっかく慶應に受かったんだから大学は出してほしかったな。ボソッ