身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

医療が患者の人格を変えること(篠田節子『人格再編』を読んで)。

となりのセレブたち

 

 先日、第1編目の『トマトマジック』が面白くないとdisった篠田節子『となりのセレブたち』だが、第3編目の『ヒーラー』を読んだら、これぞ篠田文学という妖艶さにグロさが加わりゾクッとした。今、ネットを見たら、みんな、同じことを書いているじゃん…。第1編だけ読んで投げ出さなくて良かった、というかネットの口コミも読めよ、自分。

  本当は書評や感想を書きたいところだが、今回はなんの先入観もなしに読んでいただきたい。以前、同氏の『純愛小説』で読み方ガイドのようなものをやったが、今回は、それすら要らない。波長さえ合えば星新一氏のショートショートを読む感覚で中編が一気に読める。あ、ちなみにエログロだけではなくホラーが嫌いな人も読まない方がいいです。

 さて、今回は、その中の『人格再編』という4編目の物語から。エピソードとしては物語のコアとなるエピソードなのだが、主題とは逸れる話なので、ここで取り上げても大丈夫だと思う… けどネタバレになるかな。

 舞台は近未来。その社会の設定は、もうSF。昔、筒井康隆作品が好きだった私はゾクゾクするが、それは読んでのお楽しみ。そこで、タイトル通り「人格再編処置」というものが行われる。対象は、こんな人。

一世紀前なら、因業婆ぁと罵られながら、家庭と地域社会の中の嫌われ者としての確固たる地位と居場所を得て、天寿を全うするよくいる老人に過ぎないのだが、愛と道徳に浄化された社会と家庭においては、こんな存在はあり得ないものだった。

(新潮社版153ページ)

 倫理上、やっと認められた、その「処置」も、あくまで「再編」以上のことをしてはいけない。本来の人格を変えてはいけない。それを、医者が功名心で、それ以上のことをしてしまう(ね、星新一氏や筒井康隆氏が書きそうなことでしょ)。

 怖ぇな… と思ったのは、医者以前に、本人の同意なく家族の同意のみで「処置」が可能なことだ。それでも、家族は以前と人格が変わったことに異議を唱えるのが救いだし、その家族の感覚が小説の本題へと繋がっていく。

 しかし、私は、かつて、医者と家族に殺されるというか、考えようによっては、それ以上のことをされた。詳しくは下記のエントリーを読んでいただきたい。(「病院名で検索をしたら悪い評判はヒットしない。」と書いたが、最近は、これらの事実や「恐ろしい」という感想もヒットするようになった。)

circumstances.hatenablog.com

 

 このときの医者は私の両親に向かって「親御さんの思ったような人格にして差し上げます」と言った。また、このエントリー中の私の知人の患者は、おそらく人格を変えられず亡くなった(殺された)だろう。今の世の中でも「こんな存在はあり得ない」とされる人がいるのだ。座敷牢というものはなくなったが、それに代わって社会的入院というものが現れた。

 小説だから嘘ではあるが、知っている小説家がいうにはネタがない嘘は付けないそうだし、現実がゼロの嘘は白々しいだけだ(なんか、私は白々しいという言葉を多発しているな…)。しかし、今、自分がいるのが、この小説の中の出来事を実感とはいかないまでも想像は付く社会だというのは、かなり怖い。

 「人格再編処置」の着想は、ほぼロボトミー手術だと見て間違いないだろう。そして、小説中の、そういう「処置」が必要な社会というのも、社会的入院が存在する現在の社会に着想を得ていると思う。

 小説の本題は、そのような社会に対する警鐘である。介護や、老いを見ることの重要性である。医者が社会的要請に従って患者の人格を変えていいのか。必要とされているのは、それらの人々を「あり得ない」とするのではなく、受け入れるダイバーシティーな世の中だと思う。

 (かくいう私自身は、物心が付いたときには祖父母は全員、他界していたし、父も呆気なく亡くなった。ひとりでいる老いた母を直視するのが、独身・子なしの自分が老いたときを考えるのが、しょうじき怖い。)