身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

麻布十番納涼祭りの思い出。

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 帰りのバスからボンヤリと外を眺めていると、一の橋で「麻布十番納涼祭り」の準備をしていた。しかし、そこで降りて見に行こうとは思わなかった。

 年寄りっぽい書き方だが、昔は良かった… と思えることのひとつが、この麻布十番納涼祭りである。続いてはいるものの、私が住んでいた30年近く前とは、全くの別物という感じがする。

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 当時の麻布十番納涼祭りの名物といえば「国際バザール」だった。これは、協賛する各国の大使館が出店するもので、主たる目的は自国のPRであるから、食品が主だったが、珍しいものが安く手に入った。客も外国人が多いので、チラシも英語併記だ。

 あと、思い出すのが、ラジオ番組"AVANTI"が出した屋台だ。冠スポンサーがサントリーで、サントリー機内食用に出している缶入りのカクテルが売られていて、なかなか美味しかった。このチラシを見ると、そういえば網代公園のお化け屋敷などというものもあったなと思う。

 当時の麻布十番に地下鉄は通っていなくて、主たる交通は、今でも通っている渋谷から新橋に行くバスだった。今日、私が乗っていたのも、これで、今でも基幹交通として機能している。バスは、他にも数系統、走っていた気がする。今の品川駅発新宿駅行きのバスも田町駅発で、麻布十番を通っていた。

 地下鉄が通っていないので、芸能人の隠れ家のような雰囲気もあった。専門学校の同級生を招いたら、憧れのミュージシャンに会えて感激したと言っていたのも麻布十番納涼祭りのときだった。

 あと、当時の麻布十番といえば、ディスコ「マハラジャ」だ。当時の私はディスコに出入りする歳ではなかったが、ボディコンを着た女性が六本木駅からゾロゾロと歩いてきていた。男性がいた記憶はない。

 しかし、まだマハラジャに来ている人は大人しい方で、芝浦の「ジュリアナ」は、けっこうエゲツなかった。午後5時を過ぎるとOLさんたちが田町駅のトイレでボディコンに着替え、男性はメルセデス・ベンツSLで乗り付けていた。自動車の教習中に、よく煽られた。

 ジェントリフィケーションの波で、都心は、どの町も地下鉄が通りマンションが聳え金持ちが増え、その町の「色」というものが出しにくくなっている。麻布十番が商店街の町でなくなるのも近いのかもしれない。