身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

府中市の、国立市との境にある私立精神病院のこと。

 今日は書く気力がない。しかし、駄目なら駄目なりに頑張るを信条としているので、無理して書く。あぁ面白くないものが出来上がりそうだ。

 さすがに努力しているから苦しいんだは飽きたので、高校の話か入院させられた病院か、いずれも「身の上話」の一環として書こうと思った。

 あまりに辛くて覚えていないのか時間が経ったので覚えていないのか、あまり、詳しく覚えていないので、無理して思い出しながら書く。

 


 

 かれこれ10年以上前になるのか。私は、渋谷にあった恩田クリニックという個人のクリニックに通っていた。

 院長の恩田禎先生は既に癌を発症していて、非常勤で来ていた医師に代診を頼んでいた。その医師が、その病院に所属する医師だった。

 恩田先生が、けっこう薬を出す医師だったので、私が服んでいた薬は多く、これを少なくしたいと思っていた。

 そんなとき、その代診の医師に、薬を減らしてあげるよと言われた。私には願ってもいないことだった。

 経緯は詳しく覚えていないが、入院が必要だと言われ、費用的なことは判らないから親御さんに電話してもらってくれと病院の電話番号を渡された。

 それから10日くらい経ってから、私の両親が私の家に来、半ば拉致されるように、その病院に連れていかれた。

 診察の段階で断ればいいやと思った。そうしたら、ものすごい圧迫感のあるエレベーターで4・5階に連れていかれ、鍵付きのドアを2回くぐった部屋に連れていかれた。

 その場で数分、待たされた気がする。親は素晴らしい先生と、わめいていた。

 くだんの医師が登場すると、何も聞かずに入院だと言った。任意入院だから拒否すると言ったら、強制入院に切り替えると言われた。

 

 入院計画書には、病名・部屋が物で溢れていて汚い、目標・親に完全服従と書かれていた。

 

 閉鎖病棟なので携帯電話を持たせてもらえないのは当然だが、テレフォンカードも取り上げられ、手紙を書くことも許されず、外部との連絡は一切取らせてもらえなかった。

 病棟には人権というものがなかった。私は拘置所での拘置も経験したことがあるが、拘置所がキツいと言っている人は即死だろうなと思うほどだ。

 本当、地獄のような思いをしたのに、あまりに覚えていないのは、なぜなのだろう。

 毎日、順調に人が死んでいた。しかし、ナースコールは備わっておらず、ナースステーションにも職員はサボっていていなかったので、急変があると他の患者がナースステーションの前で大声で怒鳴るのだ。

 職員について書くと、まず、担当の看護師はおらず、しかも、頼みごとをしても、その職員しか判らなかった。

 私が、処置がまだだと言っても誰に頼んだのか訊かれるのだが、名札をしていないので名前が判らない。

 名札だけではない。皆、靴の踵を踏んでいて、靴はペッタンコだった。中にはピアスをし、田舎の不良の変形学生服みたいな白衣を着ている看護師がいた。

 また、食事の時間になると看護助手が食堂で患者を凝視し、気に食わないと恫喝した。秩序を守らないというのだが、自分たちも牢名主みたいな患者は優遇していた。

 枚挙に暇がないが、設備について書くと、鉄筋造りの新しい建物であったが、ものすごい閉塞感があった。

 閉塞感というより威圧感かもしれない。外に行くには鍵を3つ突破しなくてはならず、ガラスは2㎝ほどのものが2重になっていた。

 手入れが行き届いていて、庭師が入っていた。私が入院したの数ヶ月だと思うが、庭師が途切れることはなかった。

 よくTVドラマのロケが行われていた。私が入院している間にも2件、あった。建物が自慢のようだが、中身が伴っていないのは、簡単なことから垣間見れた。

 例えば、広大な駐車場で、外来患者はコイン式の狭い駐車場、職員は普通の駐車場、院長は屋根付きの駐車場だった。

 院長は、毎日キャデラックで通院していたが、数台持っているらしく、私が見ていただけでも3台あった。

 また、院内を通過するとき、患者は常に綱に繋がれていた。これも、おそらく東京拘置所の職員が見たら慌てるのではないかと思う屈辱的な繋ぎ方だ。

 綱に繋がれた患者が院内を通過し、ちょっと列を乱すと恫喝されるのだ。しかし、後に、入院患者は外来患者と接触してはいけないと言われたので、あるいは人払いして移動させていたのかもしれない。

 私が入院し始めたのは、まだ夏だったが、病室は室温30℃を超えていたと思えるのに、ナースステーションは非常にヒンヤリしていた。

 病院の秩序は、非民主主義でできていた。私には、院長がいちばん偉くて、患者がいちばん下に見えた。病院のワーカーさんと話をしたのだが、医師が怖いと言っていた。

 病室は、いつもピリピリしていた。牢名主の顔を伺い、かといって、それだけでは安心できない。

 病室では毎日のように盗難が起きていた。しかし、職員は何も対処してくれないので、しびれを切らせた被害者は、公衆電話から110番していた。

 私は発狂寸前だった。気分的なものだけではなく、変な薬を与えられ、本当に発狂寸前だった。おそらく、あそこに刃物があったら防衛本能で自殺していたのではないかともう。

 私は、毎日、死の恐怖に怯えていた。同じ病室の患者が、バッタバッタと死んでいくのだ。そして、その中に知った顔があったのも恐ろしかった。

 その患者は、やはり同じクリニックの同じ医師の担当だったが、やはり代診で、その病院の同じ医師の担当になったのだ。

 入院する前、その患者は元気で、一緒に飲みに行ったことがある。数週間前から電話が通じなくなっていて、案じてはいた。

 それが、入院してみると、同じ病棟で、痩せ細って車椅子に縛り付けられているのだ。食事などで固定を一部解除されることがあったが、ほとんど動かなかった。

 廃人同然になっているのに車椅子に繋がれいた彼は、目に見えて悪くなっていった。そして、私は訳の解らない薬を服まされ正気を保つのも精一杯だ。

 外部に連絡を取ろうにも、電話も自由に架けられないので法務局に電話をすることもできない。

 それでも、親は片道2時間以上かかる道を、車を運転して週に1度、見舞いにやってきた。

 私が発狂寸前だと訴えても、良くなった! 良くなった! と大騒ぎして帰って行った。医師についても、素晴らしい先生だと、まるでアイドルのコンサートにいるファンのように絶叫した。

 私が、発狂寸前だ、どこが良くなったのかと訊くと、バカ面がマトモになったと言った。そして、素晴らしい先生を繰り返した。そして、医者のいうことは良く聞けと言った。医者の言うことは親の言うことなのだ。

 ある時、友人が見舞いに来た。私は面会謝絶であるから当然、会えないのだが、職員が、「許可をした○○さんという人が見舞いに来たけど追い返しました」と言う。

 これを聞いたとき、この職員はバカかと思った。会えないのになぜ許可を出した? そして、なぜ外部との連絡を絶たれている私に言うんだ?

 ともあれ、唯一の望みである見舞客は絶望的だった。しかし、よく私が、その病院に入院させられていることを知ったものだ。

(ここまで書いて、なんか辛くなってきたので、後は駆け足。)

 私は方針転換した。機会を伺っていたら、やがて作業療法というものに参加させられた。そこにPCがあったのだ。

 作業療法室は70坪ほどだったと思う。そこに100人以上の人が詰め込まれ、1畳のスペースに2人程度の密度だった。

 それらの人が縄に繋がれて出入りするのだ。それに付きっ切りで職員の目は届かない。そして、私はPCを操作した。

 そのPCはイントラネットに接続されていたが、TELNETルーターにアクセスしたら、簡単にインターネットにアクセスし、Webブラウザーも使うことができた。

 ルーターのコマンドなんて忘れているし、どうしたのか判らない。ひょっとしたらルーター越えをしたつもりになっているだけで元から繋がっていたのかもしれない。

 とにかく、私は自分のBlogにアクセスした。当時はBlogなど書いている人はおらず、私のBlogは人気Blogになっていた。

 私は自分のBlogにSOSをアップした。それを数日、繰り返した。コメントをくれている人に出版社の社員がいて一縷の望みを持っていたのだが、エントリーを見て生きていると安心しましたとコメントがあり気落ちした。

 そんなある日、私は、警察署の取調室の半分ほどの狭い部屋に呼び出された。Blogの存在が明らかになったのだ。まだGoogleがあったかどうかという時代なのだが、職員は自分の病院の評判を綿密に調べているようだった。ちなみに、今も病院名で検索をしたら悪い評判はヒットしない。

 そして、私はPCの前に連れて行かれ、私のBlogの最新のエントリーを見せられ、これは何だと言われた。病院のプライバシーを侵害していると言われた。

 病院のプライバシーというのなら、外部に対しての物なのでインバウンドは関係ないはずだ。しかし、レスが60件以上付いているから読まずに消せと命令された。

 読んだら、どうなるのか解るのかとまで言われた。私はエントリーを非公開にして後で読もうと思ったのだが、それも許されなかった。

 あの病院での思い出は恐怖しかない。脅され、職員もいないところで患者がバタバタ死んでいくのを見、気が狂いそうな薬を服まされていたのだ。

 しかし、Blogが功を奏したようだ。親に訴える電話がガンガンあったようで、親が入院費を払い、私は解放された。退院というより釈放だった。

 親は、見舞いに行くと手が震えていておかしいと思ったのよと勝手なことを言う。あの先生のことをどう思うと訊くと、そんなことは他人に聞くことではないと言う。

 そして、恩田先生に事の次第を話すと、口惜しいなぁと言う。車椅子に縛り付けられていた患者は、老人ホームに入っている親とアメリカに赴任している弟しか身寄りがないと言う。

 その患者は、最後に見たときは、車椅子ではなく、ベッドに縛り付けられていた。磨いてもらえないので歯もなくなっていた。

 私は、見舞いを装ってスパイしてきてくれと頼まれたが、今度、あの病院に足を踏み込んだら2度と帰れない気がした。そして、彼の携帯電話に架けてみても、メッセージは、現在使われておりませんに変わっていた。