身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

生活保護受給者と酒。

 かつて、生活保護を受けて遊んでいられるから障害者バンザイと言って憚らない知人がいて、私が快く思っていないということを書いた。それは、その人の腐った根性によるものだと思っていたのだが、その考えが変わった。

 これもかつて書いたかもしれないが、その知人が、自分に服従しないと付き合えないと言うので、だったら付き合わなくて結構と言ったら、LINE→携帯電話に電話→家に電話→携帯電話にEメール→自宅にEメール… とエスカレートして、縁を切るのに大変だった。

 先日、共通の知人から電話があり、私の身は大丈夫かと言う。何かと思ったら、同様なことを他人にしているので、前回のことがあるから私にも危害が及んでいるか心配したとのことだ。

 他の共通の知人の話だと、昔は生活保護を受けながらも就職活動もしていたし、他人にも愛想よく付き合っていたという。その次に出てきた言葉が「1日に缶チューハイを2ℓ飲むようになって彼は変わった」だった。

 ドキッとした。以前、「人間は酒で変わる。」と書いたが、そのときの高校の同級生と、まったく同じパターンだ。その同級生も、他の同級生は酒浸りになっていることを知らずに彼はは変わったと言う。そのことを知っていれば、悪いのは、その人の性格ではなく酒だと思っていたはずだ。

 今の私は飲まない(というより飲めない)が、例え肉体に悪影響を及ぼしても、酒を飲むことを否定しない。酒を飲んでいたとき、それを上回る精神的メリットがあることを実感していたからだ。同様に、これは、まったく私自身は吸った経験はないが、タバコも否定しない。嗜好品は健康を度外視していいと思っている。

  過ぎたるは及ばざるが如しではないが、問題は、酒に頼ってしまうことだ。それでは、どんなときに酒に頼るのか。自分の身に置き換えて考えると、まず、以前、書いたように、抱え切れない現実などの「理由」があるときだ。

 皮肉にも、酒で人格が変わってしまった高校の同級生は、かつて山谷で不動産屋を営んでいて、ほとんどの生活保護受給者は、生活保護費の支給日に家賃を取りに行かないと酒代に消えてしまうと言っていった。生活保護受給者に、生活が破綻するまで酒に依存させる理由(あるいは原因)を作ってしまうのがいけないのだと、今になって思った。

 付け加えておくと酒浸りになっていない生活保護受給者の友人もいるし、酒浸りになった高校の同級生は生活保護受給者ではない。私も生活保護受給者ではないが、収入がないし働けず、住民税は免除されているので、彼らと立場的には変わりはない。