身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

正しいことをしてるから。

 このBlogも硬派な文学どころか文学にもなっていなくて申し訳ない。この体調不良はフィコンパという薬が出てからなので、昨日、主治医に電話をしてフィコンパを服まないことにしたら、若干、良い。

 若干、良いといっても、目が覚めたのが午前11時、起き上がることができたのが午後3時である。やることが後回しになり、眠剤を服んでも寝付くのが遅くなる。

 もう、酒に逃げたい気分だが、以前、書いたように、私は、よほどの理由がないと酒は飲まないことにしている。そして、酒を飲みたいときに自分に言い聞かせるのが、自分は正しいことをしているということだ。

 かつて、「正しい感覚。」というエントリーをアップして、好評をいただいたが、自分は正しいことをしているのだからという小さな自信だ。今、フリーの歌詞が見付からないのだが、掲題は「正しいことをしてるから 未来だってあるつもり」という高橋幸宏さん「幸せの調子」の歌詞だ。

 

 厄介な案件も、いわゆる「仕業」(しわざ、ではなくて、しぎょう、「仕」業ね)といわれる人たちの手に渡った。異常者については異常さを売りにし始めた。さながらスピルバーグの「激突」。私以外の人にも同じことをして、抗議を食らっては、その人について書いたこと削除している。

 意外と仕業の皆様は大変だなと思うのは、専門職だから専門のところだけやっていればいいのかと思うと、資料集めや訪問なども本人でないとできないことが多い。弁護士は、さながら医者の往診かという訪問である。

 私もかつて専門職(貿易実務)だったが、逆に、専門外のことをやっていると怒られた。コピーを取るのも庶務の人に頼まねばいけず、自分でやっていると、それは私の仕事でないと言われた。

 そういう専門家に仕事を頼んでいて思うのは、やっぱり文明社会、分業の法則に従って専門家に頼むのが、これも正しいことだと思う。母が専門家に頼むと高いと言うが、それも裏返してみれば、私も高い金を取っていたということだ。