身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

酒を飲まない選択。

  実は今、飲みたくて飲みたくて仕方がない。酔ってくると味が解るようになるのだが、素面のときだと、どうして、あんなに不味いものを飲むのかとさえ思う。その不味さを克服してまで飲みたいと思う。

 さて、私は酒を飲むのは快楽のためではなく、それなりの苦痛から逃れるためであり、それなりの理由があるのだということを以前、書いた。直面する事実が大きいからだということも書いた。

 それが、今日は飲む理由があるのだ。異様な疲労だ。昨日、やる気がないのに無理して歩いたが色々なことがカンに障ったと書いたが、そのために神経が異様に疲れている。

 私は眠剤を服まないと眠れないので服んだことは服んだのだが、服んだ途端に睡魔が襲って来た。今朝も、起きるには起きるが、疲れが取れず、再び2時間、眠ってしまった。そして、自己嫌悪した。こんなことで疲れるから勤めができないんだよ…。

 しかし、理由があって酒を飲むのと、ただ快楽を求めて酒を飲むのと、どう差があるのかを考えた。理由というのは、結局は言い訳に過ぎないのではないか。酒を飲む理由の大きさや、直面する事実の大きさ、飲む飲まないの境は、どこにあるのか。

 自分で自分のことをヒューマンダストと書いていたのは、実は、そのときから、これに気が付いていたからではないかと思う。実は、この「ヒューマンダスト」な生活をしている間、かなり、このBlogは愛想を尽かされた。

 しかし、愛想を尽かされたとか疲労が取れない自分が嫌になったという現実が、酒に逃げなければいけないほど大きな事実で正当化できる理由になるのかと思うと、ちょっと、それはないなと思う。

 まったく読まれないエントリーだったが、私は、生活保護を貰って酒を飲んでパチンコしてというような生活はしたくはないと思っている。私も年金と親からの仕送りで生活しているので(仕事の負荷により精神を壊したという、これまた「理由」があるので、本当は、それだけで賄えるほどの年金が受給できるはずだったのだが、医者の知識不足だった)他人の金で生活することについては良いとは思っていないけど、やむを得ないと思っている。

 しかし、生活保護を受けていても、年金生活でも、自分の生活を、より良いものにしようという気持ちがあれば、金こそ稼いでいないくても、生産的な生活をするはずだ。

 芥川賞作家である東峰夫さんも(なんと「はてなブログ」でBlogをやっている生活保護を受給しているという話を聞いたことがある。(映画化された作品もあるのに生活に困るとも思えないし、信憑性は低い。)

 自分に誠実に、そして、このBlogの読者に誠実になるためにも、キチッと、疲労の原因を突き止めて、それを克服しようと思う。しかし、身も蓋もないことを書けば、酒を飲まない最大の理由は、ダイエットをしていることと金がないことかも(笑)。偉そうなことをいって金があれば飲むのかよ。