身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死にたい気持ちに囚われている。

 最近、活き活きとした文章が書けていないのには理由がある。孤独とか不安とか、そういうネガティブな感情に左右されてしまっているのだ。昨日のことなど、自分の技量なら、もっと豊かな表情をもって描けると思うのだが、それができない。

 現状に満足もしていなければ将来を悲観している。かつて、「死にたいという気持ちを乗り越えるには。」というエントリーをアップして、比較的、人気エントリーになっているのだが、ぜんぜん、実践できていない。本人もそうなのに、読みに来た人には済まないなと思う。

 また、「悲惨な人生。」というエントリーもアップして、けっこう読まれている。これは山本譲司という人への憤りで書いているのだが、今の自分の生活は、自分で定義した「悲惨な人生」に当てはまっている。

 また、これも読まれているエントリーに「普通に生活がしたい。」というのもある。これはまさに願望で、ぜんぜん、普通の生活などできていない。今日も、真ん中の方は下まで綿がなくなっている布団の上で、2DKあるのに布団1枚敷くのがやっとという汚部屋の中で目が覚めた。

 とどめは金のなさである。障害基礎年金を受給する方なので、公的年金も掛けていないし貯金もない。今までの死にたいという思いと違って、過去の苦しい体験に囚われているのでなく、将来を悲観している。

 これはあえてリンクを貼らないが、私は、かつて、親に精神病院に入れられたことがある。私は、他の医師曰く「毒を盛られ」正気を保つのがやっとというほど悪化した。その医師の患者には私が知った人もいて、一緒に飲みに行ったこともあるくらいの人なのに、廃人同然になって、それなのに車椅子に括りつけられていた。

 その病院ではナースコールもなく、夜中、ナースステーションに職員を呼びにってもサボっておらず、それで死んでいく患者をたくさん見た。まさに殺人病院である。私は幸い、ネットで人気Blogを運営していたので、そこでヘルプを求めて生還することができた。

 私は人気Blogを運営していたときには、楽しい旅行記などをアップして、まさに人生が漲っていたといっていい。それに比べて現在は悲惨な人生、将来は真っ暗。1日で唯一、話をするのは保健師さんで、友達もいない。

 苦しさから死にたいということは過去にも多々あったというより病状が酷いときには、そればかりだったのだが、今は、客観的に、気持ちとして、死にたいという気持ちに囚われている。これを書いたら少しは改善してきたので、書を読み、汚部屋を浄化しようとは思う。