身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

The History of My Shrinks.

 明日は実家に行くので、少し長めに書きます。きっと明日は大したものが書けないでしょうから(いつもという話もありますが)順を追って書いているので、今日は適当に読んで、あるいは半分だけ読んで、明日、読み直していただいてもいいかもしれません。

 


 

 今日の東京は静かだ。私は山の手といっても山の手の中の下町、幹線道路沿いの商店街に住んでいるのだが、普段が煩いので感覚が変だ。静かすぎて眠れないということはなかったが、相対的に普通の音が非常に煩く感じられ、普段は酔っ払いの騒ぎ声の中でも平気で寝ているのだが、ちょっとした騒音がしただけで目が覚めてしまい、それから眠れなかった。

 眠れないだけでなく、それから起きるまで不安に襲われ続けていた。起きられるようになったら真っ先にシャワーを浴びて目を覚まし、洗濯をした。なぜ、ここで洗濯かというと、シャワーを浴びるときに脱いだ衣服も一緒に洗おうと思って、それが重なって結構な量になってしまったのだが、それは、ここでは、どうでもいい話である。

 家事をこなして(といっても昼食はパスタを茹でただけだけど)やっと不安などが消え、あぁ、これは神経症の一種だなと思った。そして、先日、読んだ、ある随筆を思い出した。豪放磊落なイメージがある人だが、まさか精神を病んでいたとは思わなかった。そして、精神科医臨床心理士など、どう分類するか判らないので十把一絡げに「シュリンク」と呼ぶと書いてあって、シュリンクって包装とかでコンパクトにまとめることじゃないの? などと思って辞書を引いたら、しっかり載っていた。

https://www.collinsdictionary.com/dictionary/english/shrink

countable noun
A shrink is a psychiatrist.
[informal]
I've seen a shrink already.
Synonyms: psychiatrist, psychologist, psychotherapist, psychoanalyst

 

 そういえば、この前、私の主治医が「サイケアトリック」という言葉を使っていて、私は、何ですか? それ? と訊いた。それの名詞形のようだ。いわゆる「メンタル系」である。この筆者も、精神科に掛かっているというと重く受け取られるのでシュリンクという言葉を使っているようだが、私が子供のときには、事件を起こした人について「精神科通院歴があり」などと報道されるのは当たり前のことだった。

 さて、このBlogの読者の方が「シュリンク」の選び方について某サイトに書いていたので自分の場合を、少し書いてみようと思う。最初に掛かったのは国立国府台病院だった。これは、私が高校で教師のイジメに遭い、動けなくなったら甘えているんじゃないと親に殴る蹴るをされて、当時は精神病というものが今のように理解されていなかったから、いきなり大病院に連れていかれ、すぐに両親から離さなければいけないと、そのまま入院になった。

 そして自分の実家を追い出されて母の実家である東京都港区に来たわけだが、今は、これだけ精神科のクリニックが多い港区でも、当時は、あまり精神科に関する情報が流れていなかった。私は、母が見付けてきたクリニックに通ったが、しょせん、そんな親が見付けてきたクリニックである。そのクリニックの院長については、かつて、このエントリーで書いた。

 

 これらの事実をサーチエンジンに入力すれば港区と限定しなくても本名が出てくるほど芸術品を買い漁っている。TVにも、精神科医ではなく美術品収集家として、よく出ている。そもそも町医者が何兆円といわれる芸術品を田園調布に抱えられるわけがない。芸術品に限らず買い漁るのが好きな医師で、私が受診しに行くと、常に外車の雑誌を読んでいて顔も上げない。そのくせ会計のときだけノコノコと出てきて、事務員に「病名を変えたから、初診料を、もう1回、取っておけよ」などと言う。のちに障害者施設に通っていたときに、その医師の患者がいたのだが、障害者年金を受けされるようにしてやるからバックマージンを寄越せ、現金ではヤバいから東急の商品券で、などと言っていたそうである。

 この医者では良くなるものも良くならないなと思い、近所の都立広尾病院に行った。そこでの治療は、よく覚えていない。私の再就職が決まって、日中に通院できなくなったからだ。そして、主治医が、後輩だからと渋谷にある恩田クリニックの恩田禎という医師を紹介してくれた。実名で書くのは、すでに他界しているからである。名医の誉れ高い医師であったらしい。物理がやりたくて京大に入ったが、抽選漏れで専攻したいものが専攻できず、医者になろうと東京にある国立の医大に入りなおしたそうだ。

 このころのことは、精神状態が悪かったという理由で覚えていない。このころ、変な女に数ヶ月も上がり込まれたからだ。ある日、外出から帰ってきたら部屋の鍵が壊されていて、その女は自殺していると思ったなどと言う。私は、どちらかというと潔癖で、それまでは綺麗に暮らしていらっしゃいますねと言われたのだが、この女が、いつ死んでもいいように綺麗にしているのだといって私の部屋を汚部屋にして行った。しかも、物で溢れさせるように買い物を勧め、300万円あった貯金は半年でゼロになった。

 恩田先生は一緒にいるのなら結婚してしまえと言うのだが、その女は結婚していた。そして、亭主は毎日、私の家に来ては激しい口論をしていった。足の裏には発泡スチロールのトレーに入った肉や野菜などの生鮮食品のラップやシールが付いている夫婦だった。のちに彼らの家の写真を見たが、汚部屋というより床が生ゴミまで積みあがっていて、夢の島かと思った。

 先日、父が死んで遺品を整理していたら、私が住むマンションの管理組合長の名前で、精神病患者がいると安心して暮らせない、強制入院させるべきだ、あの夫婦は本人のみならず他の住民にも悪影響を与えているし追い返すべきだという文書が出てきた。精神病患者がいると安心して暮らせないとか強制入院させるべきというのはバカかと思う。しかし、この文章を見たら、その後の両親が取った行動と、恩田先生をヤブ医者中のヤブ医者と呼ぶ意味も理解できた。両親は、恩田クリニックに非常勤で来ていた医師に私を強制入院させた。そのときのことは次のエントリーに書いている。

 

 このエントリーを書いたときは、まだ恐怖が蘇っていたようで、誤字が多かったので直した。また、今、この病院を試しにGoogleで検索してみたのだが、やはり口コミサイトに悪評は載っていないがGoogleの口コミだけは悪評が載っていて、しかも、それらの評価が高い。明らかに提灯レビューがあるが、それらは投票されていない。Amazonのレビューでも「否定的なレビュー」は名誉棄損の恐れがあるからか本が売れなくなるから削除されることが多いので、口コミは単純に信じてはいけないと思う。

 さて、それから直ぐに恩田先生は亡くなった。独りで膨大な患者を抱えていたので、カルテの最初のページと最後のページのコピーと、それを紹介状の代わりにしてくれというカバーレターのようなものを渡されただけだった。さて、ここで、どの医療機関に掛かればいいのか。よく判らないので、恩田先生と仲がいい医師もいるしと広尾病院に戻った。その恩田先生と仲が良かった医師が診ているうちは良かった。

 その医師が都立松沢病院に栄転してしまい、若い医師が担当になった。恩田先生が、あそこの医者は研修医上がりばかりと言っていたが、たしかにそうなのかもしれない。いきなり、今までの先生方の治療は間違えていますと言われ、薬を全部、切られた。

 これも何度も書いているので詳しくは書かないが、心臓が針の筵の上で転がされているような感覚で起きていられなくなった。夜、寝ようとしても、ウトウトしただけで、その感覚に襲われ眠れない。半年で総白髪になり私の担当の保健師を驚かせた。当時の主治医は、私の、そういう身体の変化を見ているはずである。それを、ゴロゴロしたいための言い訳と言い、夜、苦しくて眠れないと言うと、夜更かしをしたいための言い訳と言う。

 本当に心臓が悪化して救急搬送されても知らんぷりをされ、さすがにこのままでは死んでしまうと思った。そして、恩田先生、前任の医師、そのときの主治医が出た大学の大学病院を当たってみた。初診のときは、周りに研修医がいたせいか、私の話をよく聞いてくれて、懇切丁寧に治療方針を話された。歩くにも支障が出るくらいだったので区の施設の人に同行してもらったのだが、良かったですねと言われた。

 それが、再診のときに、同じ閨閥の医者の患者は診れないと言われた。その医師の面目のために、苦しい中に通った初診1回と再診1回、棒に振ったわけだ。そして、私は再び広尾病院に戻された。どうしようと思って都の精神保健福祉センターに相談すると、前任の医師(やはり名医らしい)がいるから松沢病院がお勧めですと言う。しかし、片道1時間の通院に耐えられるとは思わなかったし、広尾病院の医師も、個人のクリニックが良いと言うので、とりあえず近所のクリニックに片っ端から電話を架けた。

 ちなみに病名はパーソナリティ障害だったのだが、パーソナリティ障害に強いとして数冊の本まで出している医師が運営するクリニックにも、うちは普通の精神科ですからパーソナリティ障害に強いという訳ではありませんと断られた。どうも、主治医とトラブルを起こす患者だと思われたらしい。

 そんな中、唯一、診てくれると言ったのが今の主治医だった。後述することと関係するが、傲慢に患者を断ってはいけないと思っているのかもしれない。カウンセリングもやっているということで期待していたのだが、私から一方的に話し依存するのでカウンセリングにならないと言われ、カウンセリングは受けさせてもらえなかった。また、所見を聞いても、ちょっと違うなと思ったところもあった。

 とりあえず心臓が苦しいから薬を出してくれ。そう言ったら、今の主治医は○×君(前任の医師)は頭が固いと言って薬を出してくれて、少しは楽になった。30分の枠に3人の患者を突っ込む予約の取り方だが、時間を取るときには取ってくれて、だんだんと相互理解ができるようになってきた。主治医は、前の主治医が書いた紹介状を、長々と書いてきたけど、ちょっと違うと思うと言うようにもなった。

 前任の医師のときに味わった苦しさばかりを訴えていたのだが、医者に必要なのは謙虚に患者の訴えや病状に耳を傾けることで、それをしないのは決め付けであり診断とも呼べないと言ってくれて、かなり救われた気がした(このことについても以前書いているので、後でリンクを張っておきます)。最初は麻酔科医だったのだけど精神科医に転身したという経歴の持ち主で、病状を客観的に診るというのは麻酔科医時代の経験なのかもしれない。

 最近のことなので、このBlogにも書いているが、酒が止まらないという事態に陥ったことがあった。このときも、意識障害やアル中など、色々な原因を考えて対処してくれて、一発で決まったわけではないが、とりあえず、正月三が日を除けば3ヶ月、酒を飲んでいないし、あまり飲みたいとも思わなくなっている。

 これも、すでに書いた話の繰り返しになるが、今の主治医は、ちょっと変わった人である。私がセコセコとBlogや原稿用紙に色々と書いているのを知っていて、自分の好きな作家を挙げ、彼は、こんな素晴らしい作品を残したのです、しかし晩年はホームレスの人を自宅に連れ込むようになって、アル中で死んでいるのを発見されました、自分も変人なので“エキセントリック”な生き方は否定しませんが、やはり、医者としては穏やかに過ごしていただきたいなと思います、などと言う。

 他の精神病患者から、よく傾聴されて楽になったという話を聞く。「いのちの電話」に架けても気が楽になると言う人もいるが、根本原因を見つめないで表層だけの話を聞く人は、私の場合、あまり助けにならない。また、私より人間が薄くて、こいつ、こんなことを考えているのだろうなと透けて見える人も、信頼して話すのは疲れるだけという気がする。

 今の主治医も、恩田先生との出会いだけで私の人生が悲惨なものではなかったと言う(出会っていなければ救いようがないほど悲惨な人生だったのだろうか)。これは、皆、いうことだが、やはり、良い“シュリンク”との出会いが、この病気にとっては一番なようである。