身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

話せば判るのも考えもの。

 ガイジンが話していることの意味が判るのも、ある意味、問題である。今日の帰りのバスでの出来事。それまでの計画が台無しになったので、計画の段階から書く。話が長くなって申し訳ない。

 今日は、朝、珍しく普通に起きて、シャワーを浴びて溜まっていた家事を一通り熟(こな)して(←何度かいても忘れるので読む人は尚更だろうと思って敢えての振り仮名)六本木で約束していた人に会い渋谷へ。

 今は六本木ヒルズ止まりのバスがあり、そこにバス停もできたが、六本木のバス停は青山ブックセンター跡地・話題の「文喫」の前にある。バスは5分おきくらいに来るのだけど、珍しく骨董通りを通るバスが来たので、店を覗かずに乗ってしまった。

f:id:urigayatsu:20190123200652j:plain

 

 個人的には飲食物を持った手で触られた本を買う気はしないかな…。カメラ雑誌で、写真家のハービー・山口さんが写真集を見るときは手袋をするといっていたけど、私も、ちょっと手が汚いと本を持つ前に洗う。「本は財産」と思っている(蔵書に限ったことだけど)私には、持って歩く本も買い直しができるものだ。

 バスに揺られていたので写真はないが、骨董通りに、今でも骨董品店が多く残っていて驚く。以前アルバイトをしていた出版社が、初台に移転する前は骨董通り(当時は、まだ高樹町通りという名前の方が通りが良かった)にあり、そのときの建物が残っていて更に驚く。

 渋谷では、ここのところ倹約ムードでドトールばかりに行っていたので、久しぶりに行きつけの喫茶店へ。激混みだった。何回か書いているが、ブルーボトルコーヒー創始者が世界中に勧めまくっていて観光地と化しているのだ。

 店を入ったところの椅子で待つ。玄関の靴箱の上、のようなチェストの上には、いつも季節の置物が置いてある。前回、来たときは、猪の福助が真ん中に鎮座していたのだが、今は、それを差し置いて節分の物が真ん中にある。そして、鏡に映っているように、さらに私の前に待っている人がいる。

f:id:urigayatsu:20190123200643j:plain

 

 本を読む気で来たのに失敗したかな… と思った。昨日は本を抱えてドトールに行ったのだが、BGMが煩くて読む気がしなかった。EDMに近いポップスが流れていて、隣では大学生風の若い女の子が、つまらなそうにしている。

 そして、今日、こちらで宜しいですか? と案内された席は、オーナーが普段いる隣の席。最近になり、この席に通すのは常連だけだと気が付いた。そんなに来ているのかなと思ったら、思いっきりFacebookにリマインドされた。

f:id:urigayatsu:20190123205825p:plain

 

 渋谷には行きつけのバーもあるし行きつけの床屋もあるし、行きつけの文具店もあるし行きつけの家電量販店もある。渋谷で用が足りないのは書籍くらいだ。東急プラザの紀伊國屋書店がなくなったのは痛い(西武百貨店にもあるにはある)。それでも今は、密林から現代のものだけでなく発掘品まで取り寄せられるから、まぁいい。

 私には幸か不幸か帰る郷里がないので、東京にしがみ付いていなければならないのだが、東急線沿線は高いので、引っ越すのなら、せめて渋谷まで1本で出られる井の頭線沿線に引っ越したいと思う。そこまで具体的に考えるのは、すでに白金が“ジェントリフィケーション”の波に飲まれているからである。

 しかし、公務員住宅の跡地に児童相談所を作ることについて文句を言う人たちを見ると、何がジェントリフィケーションだよ、スノビリケーションじゃないかと思う。そんな南青山にあって、骨董通りの古いけど手入れがされた街並みを見たときには、ジェントリフィケーションって、こういう風に高級化されていくことではないかと思った。住民とともに成熟していく街…。

 ところで、私には、あるジンクスがある。毎日、Eメールをチェックするときに、Webサイトを一巡するのだが(そういうことをするのって古い世代なのかな… まだネットの定額制がなかったころには巡回するサイトを登録しておくとフィードのように更新された部分だけをダウンロードしてくれるアプリがあったんだよ)、その中に、なぜか買いもしないのに楽天市場があり、「楽天ラッキーくじ」を引く。それが当たったときにはロクなことがないというのがジンクスだ。

 実は、今日、家を出る前に“くじ”を引いてみたら、思いっきり当たって、これは幸先が悪いなと思った。なぜ家を出る前という最悪のタイミングで引いたのだろう。帰ってきてから引いて当たれば、その日のツキの悪さを、それが原因という風に片付けられたのに。

 喫茶店が混んでいて、あぁ、ここでヤキが回ってきたか… と思ったのだが、実は、オーナーの指定席の隣は、なかなか居心地が良い。経営者ということもあってか、最もキッチンというかガス台というか台所に近い席なので、BGMは、ほとんど聴こえない。逆にいうと、客からは、もっとも遠い場所なのだ。

 この店のBGMのセンスは、なかなか良い。「ゲッツ/ジルベルト」を初めて聴いたのも、ここだ。ジャズをお聴きになるのにご存じないんですかと言われたが、そういう浅学さ安心して出せる気楽さが、この店にはある。

 本当に居心地がよく、2時間もいて、持って行った本を思いっきり読みこんでしまった。(なので、このセンテンスを書いている真っ最中で午後9時になったのも勘弁していただきたい。)どっぷりと、その本の世界にハマった。若いときには“三点リーダー”や“ダッシュ”が多用された文章を読んでいると何だかなぁと思っていたのだが、気が付いたら、それらの本を読んで自分でも使っていることに独り苦笑したりしていた。

 そして、なんとなく、いいアイデアが浮かんだ。そして、それが、あるていど形になったところで帰りのバスに乗った。と、そこまではいい。「いい」といっても、“平穏”ではなく“上々”である。問題は、そこに乗ってきたガイジンである。アメリカ人で、ニューヨーク訛りの強い英語を話している。

 昔は、公共の場で煩いのはアジア人、ことに日本人といわれていたが、彼らを見た私は、筒井康隆『農協月へ行く』を思い出した。さらに悪いことに、話し相手のニホンジンがトンチンカンなのだ。

 話題はまさに私の専門(貿易の方ね)複合輸送についての話だった。しかも、何回も書いているように私はアメリカ担当で、アメリカ国内での輸送にも関与していた。アメリカでは貨物をロサンゼルスから東海岸まで鉄道で引っ張るけど、日本の鉄道って、どうなの? とガイジンは訊いた。

 何を考えたのか話し相手のニホンジンは、東日本会社や東海会社などがあり… と返答して、単に、そのニホンジンが無知なだけなのだが、ガイジンは、旅客じゃなくて貨物の話! と怒鳴り出す始末。日本の鉄道で貨物を見ないのは何故かと訊いている。

 いや、日本では鉄道規格上、海運コンテナは積めないんです、首都高でさえ引っ張れない海運コンテナがあるんです… と、もう、喉から手が出るほど言いたかった。その、喉から出る手を抑えることに力を使ってしまい、結局は、こんな時間になってもロクなものが書けていない。

 さすがに締め切りを30分、過ぎているので、尻切れトンボになってしまいましたが、冒頭の話題まで遡ったので、とりあえず筆を置きます(ってPCで書いているんですが)。話しが判ったら判ったで気が気でないことがある、そして、判っても答えられない人がいるというだけの話でした。お粗末。