身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

心臓が針の筵の上で転がされているような恐怖の原因は親からの脅迫かもしれない。

 昨日のエントリーをアップした後、熱を出して、十数時間、寝込んでしまった。また前任の保健師さんに電話をしてしまったが、ダイヤルした(まぁ実際には画面をタッチしたのであるが)後、何を、そんなに焦っていたのだろうと思った。保健師さんにも、頭を整理した方が良いというようなことを言われた。しかし、昼から安定剤を服んで音楽を聴きながらウトウトしたのだが、音楽さえ耳障りで、恐怖で苦しくなり目が覚めた。

 かつて「子供を追い詰める『家族だから』という呪文」というエントリーをアップした。家族だからということを逆手にとって親が子供を支配するという話だ。本当に家族だと思っているのなら、家族だからなどと、わざわざ言う必要がないと書いた。

 そして、母に、このような調子なので今までのように頻繁には来れないと言ったら、母は、自分勝手だ、他人のせいにするな、金目当てのくせに、二度と来るな、と怒鳴って電話を一方的に切った。

 私は、実家の水道が壊れたと言われて部品を買いに東急ハンズに行き、しかも、親が言うものと規格が違うので再度、買い直しに行ったり、家の鍵を失くしたといってはキーコピーをして送ってやったりしている。

 上記のエントリーでも書いたが、前の主治医に心臓が針の筵の上で転がされているような感じがしたことをゴロゴロしたいための言い訳と言われ、医者を変えた。それも、親は、自分勝手だと、さんざんに私を虐げてきた。それまでも、自分たちに都合が悪いことを言う医者はヤブ医者だといって自分たちの言うことを聞く医者にしか通わせず、良くなるものも良くならなかった。

 ゴロゴロとして怠けているという痛いところを突かれて医者を変えた、そんなことをしたら、どうなるか判っているんだろうな、ただでは済まないぞ。そう言って親は私を恫喝し続けた。ちなみにこのときは障害者虐待防止センター(市区町村に設置義務あり)に電話をしたら、区の職員には、文字通りヘヘヘと笑われた。

 今日、恐怖を感じたことで、当時の、針が心臓の上で転がされているような感じを覚えたのは、そういった、親や、親と意思を同じくする医者のせいではないかと思い始めるようになった。前回のエントリーで「呪文」という言葉を使ったが、呪怨を解くために書いて根本を見詰めなければと思う。

 私は来週、47歳になる。47年間、書くことを禁じ遊びを奪い勉強を奪い仕事まで奪って私を障害者にし悪化させ続けた親。そんな親に囚われず、そろそろ自分の意思で人生を歩みたいと思う。今の主治医には、父が死んだとき、今まで悪い影響しかなかったので人生が好転するかもしれないと言われた。

 そうやって、医者を選ぶことに口出しをされずに、少しは自分に合った医者を選ぶことができるようになったのだから。親に監禁されて人付き合いを制限されなくなって、助けてくれる有難い人たちに出会うことができたのだから。そして、書く自由を手に入れたのだから。