身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

甘えること、助けを求めること。

 昨日の朝、件の世話になっている前任の保健師さんに電話をして落ち込んだ。別に何か解決してもらうという電話ではなく、単に私が一方的に話して終わったからだ。後味が悪いというか、要らないことをして煩わせてしまったという後悔。自分が甘えていることに気付いた。

 ここのところの抜けない風邪に加えて、あるいは風邪のせいもあるのだろうが、色々と小さなトラブルを起こしている。ガスファンヒーターを消さずに寝たり、昨日はポットを倒して電源タップを水浸しにしてショートするのではないかと思った。

 昨日は眠剤を服んだ朦朧とした頭で床に溢した2ℓ近い水を拭き取って、終わったときには感覚が完全に麻痺して、なぜか食パンを1斤も食べてしまった。眠剤を服んでも直ぐに寝ていないし、食生活も乱れている。しかし、悪いのは自分だ。

 今朝は、風邪は良くなったものの、夜中に咳き込んで目が覚めたせいか起きたら疲れ果てていて、今日こそは風邪で寝込んでいた時間を挽回するぞと思っていたのに、再び横になってしまった。体調が良くなったのに異様に疲れていた。

 そして、ウトウトしたら、またアレが来た。心臓がチクチクという痛みどころではなく針の筵の上で転がされている感覚だ。

 疲れにしても心臓が針の筵の上で転がされている感覚にしても、心当たりがある。先日、カメラを買ったことは、このBlogに山ほど書いているように、子供のころ物を買ってもらえなかった私にとっては一大事だった。なので、疲れは、それによるものだろう。

 さて、心臓の痛みである。ネットサーフィンをしていたら、嫌なものが目に入った。かなり昔のニュースなのだろうと思うが、夫が離婚を申し出た妻を精神病院に強制入院させたという事件だ。

 これも繰り返し書いているが、私にも似た経験がある。親に拉致されて精神病院に連れていかれ入院させられた。任意入院だというので断ろうとしたら、強制入院(医療保護入院)に切り替えると脅された。そこは、家族に入院させられた患者がバタバタ死んでいく現在の姥捨て山のようなところで、他の医師の言葉を借りると毒を盛られ手紙も電話も許されなかった自分が、今、ここにいるのが不思議なくらいだ。

 結局は、今回カメラを買ったことで、親の意に反してカメラを買ったときの恐怖が再現したに過ぎないのだが、そのときの恐怖が凄かったのか、何かに付けて顔を出す。しかし、カメラを買うと決断したのは私だし、それは考えた上でのことだ。

 そんなことは判っているが、パニックになって手元にある携帯電話から主治医に電話をした。それは症状だから仕方がないと言われ、冒頭の保健師さんに電話をした。理性を働かせる方法のようなものを伝授してもらって、少し落ち着いている。

 ちなみに、このようなときに区の精神障害者自立支援センターに相談の電話をしたら、それはタバコや酒を知らない人に、それを教えるようなもので、自己解決する力を奪うようなものと言われて、何か違うと思った。相談というのは、そんな子供が雨を欲しがるような短絡的なものではなく、万策が尽きたからするものだと思う。

 

なんか、このエントリーは1回削除して書き直したのだが、削除前のバージョンが残っていたりして、ちょっと、自分でも、こんがらがっています。←違ったバージョンが同時にアップされて、これが最新っぽいので、これを残して削除します。