身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

束縛ではない家族の温もり。

 昨日から実家に来ている。その前に通院だったのだが、主治医に実家に行くと言うと、実家に行くと調子が悪くなるんじゃないの? と、変なの、という顔をされた。

 ただ、東京にいても午前10時まで起きられず、このままでは仕事などできないと落ち込み、慌てていろんなところに電話をしては迷惑がられていて、いっそ、同じ迷惑だったら相手を親に変えてしまえという気持ちがあったのだと思う。これ以上、悪い心理状態になることはないのではないかと思った。

 また、父は和解した当日に亡くなったけど(和解したことで安心したのかなとも思っている)昔から家族の団らんというのは夢ではあった。

 よく、他人に、それなら自分の家庭を作ればいいではないかと言われたが、私は、愛された人が不幸になるような気がして、あるときから他人を愛さないことにした。私を好きになってくれた異性は素晴らしい人ばかりで、それだけを抱えて生きていこうと思った。

 昨日は、自宅を出て六本木の銀行で手続きをし、そのままクリニックなどを回って実家に来ることにした。実家にも置いてあるのだが、余分な着替えを持ってきた。

 六本木で雨が降り出し、これなら着替えを置いて傘を持ってくれば良かったなと思ったのだが、再度、家に戻るのは嫌だったし、実家の最寄り駅についた時には止んだ。

 それはそれでタクシーに乗る口実が無くなってしまったのだが、電車が空いていたせいもあるのだろうか、不思議と、移動が苦痛ではなかった。パニックに近い状態で冷汗がダラダラ落ち、席を譲ってもらうこともあるのだが、この調子だと普通に通勤できそうだなと思うときが、たまにある。

 そして、ノートPCを持ってきた。これは、このBlogにも何回か書いている、CPU Celeron N3050@1.60GHz・RAM 4GB・eMMC 32GBというマシン。

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 まさか急に亡くなるとは思わなかったのだろう、父の机は散らかっている。しかし、ストロークがあるフルキーボードで入力できるというのは、なかなか便利である。

 ただ、さすがにCPUが非力で、キータッチに画面表示が付いてこない。Webページのレンダリングに時間がかかり、フリーズしているのではないかと思うことがある。

 あと、さすがに3万円(それでもRAM高容量モデルで標準のものより1万円ちかく高くてだ)のマシンだけあって、タッチパッドや画面の作りが貧弱なのは、仕方がないのかもしれない。このマシンのためにマウスを買ったのだから、持ってくれば良かった。Wi-Fiは11ac、USBのバスは3.0と、そこだけはサクサクである。

 話を本題に戻すと、実家に着いて、灯りが付いていないのでドキッとした。それは、目下の私の愛読書、鷺沢萠『私の話』の冒頭で、筆者が自分の母親が癌だと聞いて舌打ちする心理状態に近いかもしれない。

 前にも書いたが、私は自分の言葉を代弁してくれる文学作品が好きだ。なので、自然と、自分と似た境遇の作品を読むことになる。

 さて、母親とは、今のところは、良好な関係を保っている。私が東京に戻っていたときは、ならず者の叔父(母の弟)が入り浸っていて、母に、有(私の本名)にはビタ1文やるななどと嗾(けしか)けていた。

 母は、その叔父の言葉を甘いもののように感じていたようで、私も、そういう叔父と母を相手にするのが嫌だなという思いが多かったのだが、来てみると、母は、叔父は帰ったら電話1本、寄越さないと言っている(感情として怒っているのかは不明)。

 ただ、やはり半世紀近く一緒に過ごした配偶者が亡くなったのは大きかったのか、よく、父の話をする。やっぱり、あの人、どこか変だと思うのよね… と切り出して始める話は、私の主治医が彼は自閉症スペクトラム障害だったろうということと一致する。

 それと同時に、やっぱり、あの人は役人でよかったのよ、と言うが、それも、全く私の主治医ということが一緒である。そして、彼は私が嫌いだったと言う。まぁ、聞いていて気持ちがいい話ではないが、何となく、納得ができる。

 そして、母は、私に、親だからというアピールをしなくなった。まだ、老いては子に従えというには遠いが、一緒に、近所の石原鮮魚店の寿司を食べている。東京にいるときは刺身1人前など高くて買えないので、それは助かる。これは900円かな?

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