身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

過労耐性。

 東京に戻ってきた。というか松戸から逃げ帰ってきた。なんか、ここのところ疲れた疲れたと書き続けているが、本当に消耗していたのだなと思う。毎回、実家に行くと2㎏痩せる。やっぱり、目が覚めているのに昼過ぎまで起きられないというのは過労だったのだと思う。過労で自殺する人ってのは、こういうときに自殺するのだろうなと思う。私は、過労に対する耐性があるというか、過労に慣れてしまっているのだろう。

 ふと思い出したのが、新卒のころだ。今でいうブラック企業で、残業が月に200時間を超えたのだが(ブラックといっても、残業代はくれたし、業務時間内に空き時間があると会社の車を貸して練習してきていいよという会社ではあった)、家族には、新卒に長時間残業などさせるわけがない、毎日、終バスがなくなるまで遊んでいるからタクシー帰りになるのだと専業主婦以上の家事をさせられた。逆に新卒の給料で、どうやったら夜ごと遊んでタクシーで帰れるのか訊きたいものだ。

 後に別件で腕のX線写真を撮ったら、そのときに疲労骨折をして治療もしなかったので手首の骨がズレて癒着しているそうである。そのとき、初めて(だと思う)本気で自殺を考えたのだが、鎌倉に死に行ったら死ぬ気がなくなって帰ってきた。最近まで鎌倉という土地が良かったのだろうと思っていたのだが、今になると、休まるところなら、どこでも良かったのだと思う。

 さて、今日は御用始めである。担当の保健師さんに電話をしたら、医者に薬を出してもらうしかないですねと言われる。主治医には、せいぜいビタミン剤だな… と言ってビタミン剤は出してもらったけど、他に疲れに効く薬って何? 覚醒剤? この人は対応が不真面目なのではなくて解決策が見付からないのだろうなと思うことにした。

 そして、区の生活・就労支援センターの担当者に電話。以前の担当者は、母と向き合ってくださいとか、何かあったら母に謝ってくださいなどと言われ、主治医に相談したら「治療方針に背くので、あなたの言うことは聞かないようにと主治医に言われた」と伝えてくれと言われた。

 その担当者が、病欠か何か知らないが、当分、仕事ができないということで、担当者が代わったのだが、今度の担当者は、母が来いと言っても仕事を探しているから行けないと断ってしまうのもアリなどと言う“治療の方針に背かない”人である。

 母が生活費をくれないので仕事は早急に見付けたいと言うと宥(なだ)められた。家を出ることが無理でも、なるだけ遠くの部屋で、本などを読んで、そこに集中してくださいと言う。そして、母が郵便物などを溜めて私に処理をさせると言うと、社会福祉協議会で何とかなるかもしれないとの知恵もくれた。今の担当保健師より、よほど。

 今日も、叔父は朝から飲んでいる。そして母は、叔父には食事を作るのに、私には何も食べさせない。母のヘルパーが来て、叔父は買い物に行き、母は叔父が優しいから何か買ってきてくれるなどと言うが、買ってきたのは酒と自分のツマミばかりだった。

 そのくせ、疲れているから休みたいと言っても、家事を私に依頼する。酒を飲んでTVを観ている叔父に言って欲しい。とりあえず、そのために御用始めまで実家にいるのだからと、預金が凍結されている! と大騒ぎするので銀行には付き合うことにした。

 行ってみたら、普通に通帳に記帳ができる。単に未記帳分がなかっただけだ。また金が降ろせないというのは嘘だった。しかし、母の預金通帳を見たら数千万円の金が入っていて、こんな金額を見たのは、おそらく商社で鉄鋼の輸出をして以来である。私には建て替えたビール代さえ払わないし、私が訪ねたところで交通費さえ出さない。

 本当は、母の通院に付き合うのも予定に入れていたのだが、もう、これ以上はいられない! と思って、そのままバスに乗って帰ってきた。病院には独りで行くの? などと言うので、叔父と行けと言っておいた。そして、本人は、銀行に用事がなくなったら独りで悠々と買い物。

 本当、年末からの1週間、よく耐えたなぁと思う。こういうとき、耐性がない人は電車を見たら飛び込みたくなるのだと思う。決して、そういう人を責めているのではなく、辛いねぇと言ってあげたい。しかし、以前、書いた、前任の保健師さんや、上に書いた区の生活・就労支援センターの職員のように、やはり、耐性を付けるというか乗り越えるのに必要なものは、優しさと理性・知性だと思う。

 

… 今日は、ここで憂さ晴らしをしてしまった。済みません。