身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

見えない「バカの壁」の押し付け。

 ここのところ、毎日のように書いているが、相続の手続きで飛び回っている。そして、先日、ふと、ほとんど自分の利益にならず母のために動いているのに、なぜ、遺産をブン取りたいために嬉々として動いているとナジられなければいけないのかと思い、心の闇に落ちた。メンタル不調で手続きもできない。

 区の「生活・就労支援センター」に出向く約束があったので、そこで、そのことを告げると、手続きは弁護士さんに任せてしまってもよいかもしれませんねと言われた。この時から、弁護士が親との仲裁もしてくれるのだろうか、なんか変だなとは思っていた。

 今週の金曜日、母のマイナンバーカードの交付に付き合うことになっている。そんなものまで、電車で1時間+バス(&交通費)かけて来させる親である。そして、相続についても、本当は相続など不要な手続きであるのに、私が「遺産をブン取りたいために」やっていると思っているのだから協力するわけがない。手続きは私がして署名捺印だけしていればいいのに、それさえも拒絶する。

 しかし、生活・就労支援センターの職員は、母のところに行って、母と歩み寄ってくださいと言う。謝ってくださいと言う。手続きは、それからですと言われた。私は、歩み寄るも何も、親は私のために何かしようという気はないですよと言った。そうしたら、親は、あなたのことを思っているから、マンションを買ったりするんですと言われる。

 いや、マンションを買ったのも、母の実家が立ち退きになったからであり、「子供を言詰める『家族だから』という呪文」というエントリーに書いたことだが、私の親は、親だから、家族だからとといって、私を自分の好きなように支配しようと恩を着せているのだ。

 親と対峙すると、血圧が180㎎Hgまで上がったり、口が回らなくなるなどという症状が出るのですと言うと、その場合は、どうしたらいいのか主治医と話し合ってくださいと言う。主治医には、とっとと帰ってきなさいと言われたと言っても、そうではないと言われる。

 私は、この、「そうではない」という意味が、しばらく判らなかった。親とボタンの掛け違いや誤解を解くには時間がかかると言われて、そうか、この人は、親が子供に対して悪意を持っているということが信じられないのだと理解した。どうも、私の態度も消極的なのだと捉えられたようだ。

 なので、親と対峙しないという選択肢が、彼女の頭の中にはない。この人には「どうしたらいいのか=対峙しない」という概念は、端からなく「どうしたらいいのか=どう『対峙したら』いいのか」なのだ。

 弁護士云々についても、中学校の同級生に弁護士をやっている奴がいるのだが、弁護士に頼むといっても、弁護士は手紙を書いたり電話を架けたりするのが精一杯だと言う。そして、あまり近しくないといっても、友人であるから私の親のことは少しは理解していて、有(私の本名)の親は電話に出たり手紙を読んだりするか? だったら裁判所の調停の席にも着かないで不成立で審理になるだろうと言う。

 ここまで来て、センターの職員は、私が相続の手続きができないと言っているのは、親の協力が得られないからではなく、単に私の事務処理能力に問題があると思っているのではないかと思った。それなら弁護士でも処理できることだし、中途半端に処理をすると、引き継がれた弁護士が二度手間になりますよと言われたことも合点がいく。それは「事務のプロ」を自認する私には当てはまらない。

 親というのは子供のことを思っていて、必ず歩み寄れるはずだという常識や、手続きができないというのは事務ができないのだという、私の主治医の言葉を借りれば「底の浅い決め付け」を、私に押し付けないで欲しい。

 それを、「あいはーと・みなと」という区の他の施設の職員に話した。ちなみに「利用者を追い詰める福祉の人」の上司である。そうしたら、そういうことを理解できないことを責めることはできないが、やはり、親との歩み寄りが先決で、手続きは、それが解決してからというのは、ちょっと違うのではないかと言う。

 私には、この人は私の言うことができないのだなという「バカの壁」が見えているのだが、この人には、そんな壁の存在が見えないのだろう。認識自体が相手と自分で違うと理解する(バカの壁があることを認識する)ところまで行かなくてもいい。せめて、それを勝手に消極的だと決め付け、私に押し付けないでほしいと思うのだった。