身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

ボロボロに疲れている501日目の大晦日。

 平成最後の大晦日だ。昭和63年は、今年中に昭和が終わるかもしれないと思った人も多かったと思うが、それを確信していた人はいないだろう。しかし、無理やり苦しんだまま年を越すまで生きさせられた昭和天皇には同情しかない。苦しい人生、せめて最期ぐらいは穏やかに死なせてあげたかったと思う。

 結局、昭和は64年まで続いたが、前述のように昭和が64年まであるとは、誰も確信が持てなかっただろう。それが、平成というのは31年までしか続かないと皆が判っているという、なんか不思議な年の瀬である。

 せっかくの年の瀬だが、本当に私は疲れ切っている。母を他人だと思い気を使うことで平穏に過ごせていて、私はボロボロだが母は良い年の瀬だと言っている。それだけで満足してくれればいいのだが、叔父を呼ぶと言って聞かない。

 叔父は私が電話しても出ないので、私に、その「ならず者っぷり」を咎められるのが嫌で一緒にいたくないのだろうと思う。そして、それは私にとっても好都合なので、母に、叔父と連絡が取れないと言っているのだが諦めてくれない。

 結局、母は、私が死んだ父とのトランシーバー代わりに持たせている携帯電話で叔父に連絡をした。あれだけ携帯電話の使い方が判らないと言っていたのに、試行錯誤して架けた。

 また新たな消耗戦が始まるが、それだからこそ書かなければならないと思い、原稿用紙を出してきた。しかし、資料もないし、まったく書けない。日記は1日に1,000字前後、手紙は2ヶ月で便箋2冊がなくなるほど書いているのになぁ。それで、書けずに、なおさら苦しんでいる。