身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

カッコつけこそ物の下手なれ。

 今日は、友人、山本熱史さんのライブに行く。そこで、前回、同じ会場で行われたライブのことを書く。トップバッターが趣味でやっている女性のシンガーソングライターだった。本人の自分のサイトでの自己紹介文が、これ。

フォークとロックを愛し、パンク精神を持ち合わせ、
時には詩人のように、時には絵本作家のように、時には哲学者にように、
独自の視点で、その歌に心や世界を描く。

 まぁ演奏が下手で曲自体も音楽としてなっていないのは、私のジャンルでないので置いておく。“独自の視線はいいのだが、奇をてらったり無理な解釈の歌詞というのが、あまりに目に付くのだ。

 最初に歌ったのが「ハイヒール」という曲なのだが、合コンにハイヒールを履いて行っても行かなくてもモテなかった、ハイヒールの効果はないという曲だった。この人はモテないんだろうなというのは曲を聴いていても解るのだが、それをハイヒールのせいにするのは、どうかと思う。

 ハイヒールにしても、見た目だけのために履くものでもないだろう。それにより女性らしい心持ちが備わるというのもあると思うのだが、この人は、ハイヒールを履いても、履かされている気分だけで、緊張感が増すということはなさそうだ。

 なんか、さんざんに書いたが、もう、出演者が無茶苦茶なライブだった。途中、パンクバンドが出たのだが、アンプが壊れるのではないかという大音響で耳が痛くなったのに、歌っている本人たちは「気持ちいいです!」と怒鳴っていて、観客としては不快の二乗だ。

 熱史さんがトリだったので、途中で退席するわけにもいかない。いちばん巧かったのは「私たちは熱史さんの前座を務める者です」と挨拶に来た人たち。他の人の曲を聴きたくないのか遅れてくる人もいる。Facebookで友達になったら、投稿を見ると、しっかり練習してんじゃん…。

 熱史さんはプロなので、自己満足というものを敵視しているのではないかと思うほど嫌っている。やはり練習しているのだろう、巧い。熱史さんはお金を貰っているが、彼らは金を払って出ているらしい。

 私は、本の自費出版には肯定的な考えを持っている。それで金を儲けようと思うどころか大金を払ってまで他人に読んでもらおうという姿勢はアッパレだと思っている。しかし、こういうライブは、飲みに行く程度の金で出られるとのこと。

 ここ最近、好きなことがあったら自発的に取り組むと書いているが、まったく音楽というものへの愛着が感じられないし、熱史さんや、その前座”の人たちみたいに練習している形跡もない。

 カッコよさそうだからと格好だけ真似しているのは、好きということとも努力しているということとも違う。音楽やってる自分カッケーと思うのは、単なる「意識高い系」で下手の横好きでもない。ハイヒールを舐めるな、音楽を舐めるな。

 

P.S. この会場、クラブのようなタバコ臭さで、前回、このメンバーだったので、正直、躊躇するところもある。ただ、今回は、会場側がオファーした人だけということに救いを見出している。会場は四谷4丁目なので、行きに牛込の漱石山房記念館に寄っていこうか迷っている。こうやって、近所に何があるのか知っているところが地元民の強みだ。