身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

私なんか死ねばいいのに。

 こう思うことが多い。朝、起きたところで会社や役所へ行くこともなく、金銭は関係なくとも有意義なものなどを書いていれば、それなりの価値があることをしていると思えるのだろうが、それさえもできない。

 それに、母の相続の手続きも遅々として進まない。本当なら戸籍謄本を取って、とっとと金融機関を回っていていいはずである。それなのに、それを先延ばししている自分に腹が立つ。

 はっきりいって不要人である。社会に何も貢献していない。こんなことを考えるのは私だけかもしれない。知り合いの仕事をしていないマンションオーナーに、私は1日に8時間拘束されて仕事などできない… と言ったら、何で、そんなことをする必要があるの? と言われた。

 しかし、私は自分が不要人であることに耐えられない。誰かの役に立ちたい、誰かに必要とされていたい。それと同時に、誰かに優しくされたいし、誰かに慰めたり励ましたりしてほしい。

 幸い、保健師さんと訪問看護師さんは職業柄から優しくしてくれる。ただ、私には友人がいない。昨日、同級生の弁護士に、例の何とか協会から削除しないと訴えるぞという手紙が来て、その返事の写しを送り、ある指摘を受けたが、プライベートで頑張っているねなどの言葉はなかった。

 はっきりいって私は友人にとっても迷惑な存在なのである。そんな私など、生きている価値はない。本人も生きているのが苦しいし、保健師さんにとっても扱いにくい人間だろう。

 本人も、異様に疲れている。休もうと思い横になってもジッとしておれず、起きたところでイライラ、字を書くどころか読むこともできない。毎日が消耗で苦しい。早く楽になりたい。死にたい。自分なんて死ねばいいのに。そう思う毎日だ。

 

P.S. そんなことをいいつつ、今日は同志・山姥さんに助けられた。まったく孤独ではないようだ。何かコメントを頂けると泣いて喜びます。