身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

苦しさの二乗。

 今朝も午前10時過ぎまで目が覚めず、目が覚めたと同時に胸が苦しい。友人などに、何にもできないんだから休みなよ… と言われるが、休んでいても苦しいというのは、なかなか理解されない。

 もう丸々1週間もシャワーを浴びていなくて、今はショートカットで髭も伸ばしていない男性の私なら15分もあれば浴びられるし、実際、サラリーマン時代は家に帰るや否やシャワーを浴びても、全然、平気だった。

 それが、今や、15分のシャワーも浴びられず、布団の上でのたうち回っている。特に昨日から酷く、これ以上の越権行為は… と言われていた区のお偉いさんになっている前任の保健師さんや主治医にも電話した。

 主治医に電話をしても特に楽にはならないのだが(苦笑)、前任の保健師さんや区の精神障害者自立支援センターの、ある職員、訪問看護師など、話すと楽になる人がいる。

 精神障害者自立支援センターの所長さんに、どうして、今の保健師さんじゃ駄目なんですか? と訊かれるが、答えが返ってくる前に、こちらの話を聞く気がないもの。父が死んで… と相談したら、死んだのは父親なので松戸市に相談してくださいと言われた。相談しているのは港区民の私だ。

 昨日、前任の保健師さんに言われたことと、今日、その精神障害者自立支援センターの職員に言われたことで、たまたま同じことがあった。気持ちというのは、自然に湧いてくるものだから… ということだ。精神障害者自立支援センターの職員は、どうも、その知識を勉強をして身に着けたものらしく、それはさらに2分されるということを話していたが、よく覚えていない。

 とにかく、自分の気持ちに処するには、それが通り過ぎるのを待つ地下ないという話だったと思う。昨日の前任の保健師さんにも話をした気がするが、前回、クズ医者の掛かっていたときには心臓が針の筵の上で転がされている感覚がして眠れもしなかったので、そのときに比べれば楽である。

 問題は、苦しんでいる間、何もできないことだ。昨日は久しぶりに本を読もうと思ったのだが、しかも、そこには今の自分の問題を解決する方法が載っているのだが、読むことができなかった。肉体的な苦しさだけならいい。したい努力ができないのなら、その苦しさだけでいい。その両方ができないのは、勘弁してもらいたい。