身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

貿易実務に映る阪神淡路大震災の思い出。

 うーん、27年か、長いようで短かった気がする。しかし、現在、ほぼ30歳以下の人たちの記憶にないと思うと、そんな昔の出来事になってしまったのか。当時、私は商社マン(海外営業ではなく貿易事務だけど)2年目だった。乙仲から総合商社にキャリアアップした年だ。

 鉄鋼を扱う部署にいて、現在の某自民党議員と同僚だった(彼は国内担当だったので直接の接点はない)。良家の子女が沢山いて、事務職でもスーツを着てくる女性社員もいた。週始め以外はスーツを着ない私の方が、よほどだらしない。

 担当はアジア州だった。風土が合っているのかどうか知らないが、どの会社でもヨーロッパ州担当は長く続かず、だいたいアメリカ州アジア州担当になる。ちょうど中国復帰を控えている香港担当で、忙しいけど面白い・エキセントリックな仕事だった。

 台湾向けの輸出だったと思う。新日鉄光製鉄所のステンレス鋼を輸出するという仕事も担当していた。その新日鉄光の貨物を船積みするのが神戸港だった。現場や代理店が、どのような判断をしたのか知らないが、神戸で船積みする貨物は、すべて大阪に運ばれた。

 TVで被害状況を見ると船積みがストップしなかっただけでもラッキーで、どうやって大阪に運んだのか謎である。ともあれ、大阪港でも船積みに混乱が発生していて、まだ開港していない泉北(?)からの船積みとなった。これも、国際貿易港以外から、どうやって海外向けの船を入れ出しできるのか判らない。どこで通関したんだろう…。

 さて、問題は決済のときに発生した。普通、海外貿易における契約は、積み地を"ANY PORT IN JAPAN"とするのが常であったのだが、その契約は"KOBE/OSAKA, JAPAN"となっていた。まぁ、それを見て現場は大阪に貨物を運んだのだろう。それなのに上がってきた船荷証券は"SENBOKU, JAPAN"となっていて、客から大阪から積んでないではないかということになった。

 船社に対しても銀行に対しても特にL/G(保証状)を入れた覚えはないから、おそらく乙仲が自らの権限で、すでに荷主の手に渡った船荷証券を"OSAKA, JAPAN"に書き換えたのだと思う。乙仲に、泉北も大阪府なんですよと説明を受けた。銀行と揉めたのだけは覚えている。

 些細な書類の訂正であるが、積み地を訂正するなどというのを経験したのは、長年、貿易事務に携わっていて、これが最初で最後である。そう考えると、貨物の現場だけでは収まらなかったというのは、よほど大きな事件だったのだなと思う。

 震災後、私は神戸に行ったことはない。なので、震災の傷跡など見ても判らないだろう。ただ、学生時代に1回だけ行った、神戸駅前の大森旅館というビジネスホテルがどうなったのかだけは気になった。私は9.11のときは他社でアメリカ州を担当しており、意外と時事問題に絡む仕事であったなと今になると思う。