身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

覚えていて得をしたこと、忘れて損したこと。

 ちょっと見付からないが、Blog友達の、ボケ防止サプリの宣伝が怪しいというBlogエントリーにインスパイアされて、少し書こうと思う。端的に略すと、使わないものを忘れるのは自然なことで、ふだん使わないことを(例えば昨日の献立とか)を挙げて覚えていないと言われても、それはボケではないという話。

 そこで、私の、使わなくなって忘れたことの幾つかを思い出した。逆に覚えていることから書く。

 最近、Twitterで英語のアカウントをフォローしてるが、そこに貿易実務をしている人が寄ってきている。私は間(あいだ)が抜けているが新卒から退職まで同じ職種だったので、意外と忘れていない。

 〇月×日出航の船に乗せたいと言われ、貨物はいつまで、書類はいつまでに用意して、いついつまでに通関してくださいということは言える。そのための手配も書類作成もできる。あと、知られていないが、我々は通関士の免許を持っていなくても自分が扱う商品のHSコード(日本語だと貿易統計品目番号という、よく判らない名前が付いているが、直訳すると国際協調(Hermonized)統計(statistics)番号である)は判る。

 この知識は忘れなくて得をしたことである。最近、個人輸入が盛んになってきたが、中国から怪しい商品を郵便で輸入して損をしたことはない。

 そもそも中国モデルを買うこと自体だがアウトだと思うが、さらに中国の郵便が怪しい。通関に数日かかり到着に1ヶ月かかったり、そのくせ税関を通ってはいけないものまで通ってしまったり、厳しいのかザルなのか判らない。

 その点、私は北米やヨーロッパなどの正規代理店に売ってもらって、郵便ではなく宅急便(courier)で送ってもらう。税関説明が必要な場合は自分がする。売っているモデルも英語モデルで、キーボードに怪しい文字が並んでいることもない。送料も、あるいは中国からの郵送料よりも安く、所要時間も短い。

 通関などに不安がある人は、とりあえずアリババではなくeBayを覗いてみてほしい。中古カメラを売っているのは、ほぼ日本の業者で、逆をいうと売り手も買い手も信用が高い。日本向けeBayは失敗したが、日本での購入に特化したセカイモンというサービスもある。

 これがまぁ、忘れないでもっともトクだった知識である。逆に、忘れてソンだった知識は何か。特定の知識というより、貿易実務を挟んだ真ん中、編集者をしていたときの知識である。原因として、自殺未遂をしたくらいだから、精神状態が良くなかったのだろう。

 出版社で、私はマイクロソフトのマニュアルの編集・出版をしていた。私としては文芸への足掛かりというつもりで貿易からの業種転換を図った。しかし文芸の編集者は、普通、大卒しか取らない。文芸でなくても編集の仕事に捻じ込めたのは、私の翻訳力が買われてである。

 ビジネス書のほとんどが筆者が書いていないというのは暗黙の了解だが、翻訳技術書の多くも翻訳者が翻訳していない。一応、翻訳はするのだが、まるで自動翻訳のような酷い訳が上がってくる。それを下訳として使って、結局は編集者が訳すのである。

 Microsoft Office 97の幾つかの公式マニュアルの奥付に名前がある。絶対に返すから、どうしても貸してほしいという人にイヤイヤ貸して帰ってきていないが、「Access 97オフィシャルマニュアル」には、かなりコミットしている。

 マニュアルであるから、動作確認が必要となり、SQLを一通り覚えてしまった。そして、そのまま同じ環境にいたらエキスパートになっていただろうが、次に貿易実務員として入ったメーカーのデータベース管理ソフトが、おそらくフリーウェアの独特のもので、すっかり忘れた。

 忘れたのはコンピュータの知識だけではない。編集の知識も怪しい。台割・レイアウトという言葉も、ほとんど頭の片隅にあるだけだ。カンプとか束見本って何だっけ? というレベル。校正だけは筆者校を入れていたせいで、何となく判る。

 そうそう、私が編集者をしているとき、アメリカン・エキスプレスの、あの有名なコマーシャルが流れていた。「職業、エディター。週末、活字を忘れる。」という奴である。

 「職業、エディター。週末があろうが入稿まで活字は忘れられない。」とか、「職業、エディター。活字はフォント帳を見ればいい。」など、編集者の恨みつらみをコピーにしたものが大量に回ってきた。当時、Twitterがあったら面白いものになったろう。

 もし台割の知識を覚えていれば、何ページだから何台でとか判るのだろうが、駆け出しの私は青焼きを綴じてカッターで裁断したくらいしか記憶にない。確かに新人教育として教育されても、そんなものである。

 教育といえば、おそらく学校教育もそうなのだろう。寓居の近所には医科大の薬学部があるが、5年生になって、まだ有機化合物が理解できない学生がいる。これも、大学入試のときの知識を覚えていれば… という話である。