身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

村上春樹という常識。

 今日は新年3発… ではなく1発目の散髪に行った。Facebookの友人に新年早々に散髪に行っている人がいて、その人は月に1回、散髪に行っているのだが、私は、そんなにマメに散髪はしていない。

 かつて、村上春樹の小説だか何だかに月に1回、散髪に行き… というのがあって、それくらいが普通なのかな? と思ったのだが、私のFacebook投稿に寄せられたコメントだと、皆、私程度の頻度だった。

 村上春樹の小説の変なところは何事も妙に価値観を汎化しようとしているところで、確か羊三部作のひとつに、中流家庭の例えとして家にブルーバード(車)があるという表現があったと思う。

 少し前にTwitterで流行ったツィートに、electionのために学校に行くというのをerectionのために学校に行くと書くところだったというのがあったが、これも、たしか村上春樹のエッセーで、洋書から朝立ち(wake up with an erection)の頻度を知るという表現があって、それを読んで同じ間違えはしないなと思った。

 しかし、村上春樹は、なぜ、あんなにエロいことにこだわるのか。昔、外人に、日本人は「あんなもの」を子女にも読ませているのかねと訊かれたことがある。日本では、あんまり、そういう評価はないからと答えたら、日本人って変だねと言われた。

 汎化されているから、そう感じないのかもしれないが、村上春樹の小説にはエロ要素が多分に含まれていると私も思う。昔ほど面白いと感じないし、ノーベル賞は授賞理由がないので受賞しないだろう。