身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

もっとも口惜しいこと。

 前にも書いたが若いころの私は読書家だったらしい。昔から古典は読まなかったが、村上春樹などは好きで、ほぼ短編しか書いていないときから出るとすぐに読んでいた。

 今は村上春樹など新作がいくら話題になっても読もうという気すらしない。村上春樹に限ったことではなく、好きな作家がいようが読む気がしない。

 以前取り上げた、私が拝読している、物を書いている若者のBlogを読んで、本屋に行くと、その沢山の本にワクワクするが、その中で限られたもしか読めないと思うと失望してしまうという表現があった。

 私にも書店の本棚が宝の山だった時代が、確かにあった。私が住んでいた家の近所には小さな書店しかなく、かといって駅に出るには遠かったので、取次が配っている「これから出る本」という冊子を見て予約を入れていた。

 決して、今も好きな作家がいないわけではない。次が読みたくてワクワクする作家がいて、上に取り上げた若者のような気持ちになる。

 しかし、午前中いっぱい苦しんでいて、実際に活動できる時間が1日に8時間というのでは、読書に費やせる時間はあまりに少ない。

 寓居のテーブルの上には常に数冊の本がある。書店にある無限の本に比べて、なんと少ないことだろう。その少ない本さえ読めないということは、失望以上に口惜しいことだ。