身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

レジェンドを大切にする。

 今日は48歳の誕生日、4回目の年男だ。何度も書いているが36歳のときから何も成長した気がしない。それどころか、こうやってBlogを書いていると、昔は結論まで見据えて理路整然とした文章を書いていたのに、この程度の文章を書くのに精一杯で閉塞感を感じている。

 さて、先日、私が接してきた人たちは、専門学校の講師といい、ちょっとしたレジェンドといえる人たちではないかということを書いた。

circumstances.hatenablog.com

 

 その直後、読ませていただいているBlogで予備校講師の話があり、私が習っていた講師の方々についても「レジェンド」という言葉出てきた(コメント欄を参照のこと)。私に限らず、皆、なんかしらのレジェンドに囲まれているわけか…。

www.snowlog.net

 

 ちなみに、私はまだ実家にいる。私の部屋は頻繁に遊びに来ていたらしい叔父の部屋になっていて、私の部屋は既にない。蔵書も、どうでもよい文庫本が数冊、場所を取らないために残っているだけで、他は全てない。幸い、既述のように私は実家を追い出されてから大検を取って進学したので、一部の参考書は寓居にあり難を逃れた。実家を出る寸前にドタバタしながら撮った写真なのでブレブレ・ボケボケだが、その一部。

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 また、寓居には、100冊ほどの文芸書がある。すべて既読で、自分の本棚に並べておくべきと思った本だけが並んでいて、いわば、瓜ヶ谷選書といったところだ。これも、読書の習慣がない両親に、そんな一生をかけても読むこともないほどの量の本と言われて捨てられそうになった。

 今、このような閉塞感を感じながら、いったい、どんな打開策があるかと思うと、せっかく接してきたレジェンドたちから、再度、教わり続けるということくらいしかない。幸い、私が接してきたレジェンドは、これらの人たち以外にもいる。

 飲み屋で知り合った、あるいは見掛けた人たち。なぜか知らないが太宰治がブームで、聖地巡礼よろしくルパン(バー)などに赴く人が多いという。有馬ママと話をしたことがあると言うと、ママさんだけではなく、こちらまでレジェンドといういうような目で見られる。

 また、今はなくなった原宿のバー・ラジオでは、村上春樹さんが安西水丸さんと飲んでいたのを見たこともある(ちなみにバー・ラジオのマスター尾崎さんは、現在は京都で陶芸をやっているとのこと)。今は酒を飲めなくなったので、これらの人たちと触れる機会はない。私が酒が飲みたいというのは、それらのことがあるからでもある。

 しかし、先日、私は本を読んでないなぁと言われたと書いたが、例えば「人間失格」さえ読んでない、あるいは読んでも忘れている。村上春樹さんは、せいぜい読んだのは羊三部作までだけだ(「納屋を焼く」を読んだときは、まだ村上春樹って誰ですかという感じだったのに、世の中は判らないものだ)。

 48歳、今年は、これらの「レジェンド」に学ぶことを最優先しようと思う。