身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

難しい表現と難しい内容。

 昨日、Blog友達の星香典さんが私の好きな鷺沢萠氏の『葉桜の日』を紹介してくれた。そして、末尾に『果実の舟を川に流して』が併録されていると書かれていて、本編の方は覚えているのだが、それがどんな話だったか、すっかり忘れていることに気付く。

 以前、主治医にワーキング・メモリーが少ないと言われたことがあるが、稼働している部分が少ないというよりメモリーとしての機能が小さいというのが正直なところだと思っている。記憶の持ちが悪い。前シーズンのTVドラマは大好きなものでも忘れている。

 そして、行きに『葉桜の日』を持って行こうと思うが、本棚にもなければ文庫本を雑多に積み上げているところにもない。初版本で持っているのかと思って半閉架にしてある本棚を見てもない。

 そして、気になったまま外出してバス停を間違えた。こういうことがあるから主治医はワーキング・メモリーが少ないと言ったようであるが、知識が色々なところにシークすることが判り、最近になってワーキング・メモリーが少ないのではないことに気が付いたようである。

 ついでに買い物をしても、メモもしてないのだが買い忘れるものはなかった。メモリー云々よりも冷静であるか否か(カッとなりやすい)という方が大きいというのは前々任の主治医が指摘している。そして、公立図書館が近くにあるが冒頭の『葉桜の日』は家に帰ったらあるだろうから他の本を探しに書店に入った。

 しかし、読みたい本がないのである。ほとんどが放送中のTVドラマの原作ばかり。私はTVドラマの原作というのは放送中に読まないのだが、これは、小説を読んで予習するものなのか、放送を先に観て内容を深く確認するためのものなのか。

 その他は古典ばかり。古典でも村上春樹の翻訳で… などと嚙み砕いたものならいいのだが、大規模書店ならともかく、駅前の書店に入ってカフカを買おうという人間が、どれだけいようか。

 私は決して多読な方ではないというか寡読な方なのだが、それでも聞いた名前ばかりである。しかし、聞いた名前だからといって手垢の付いた村上春樹氏や大江健三郎のような何を言っているのか判らない本を買う気はしない。

 結局、読みたい作家の本はなかった。ベストセラーの棚に並んでいるもので、名前を聞いたことがあるけど読んだことがないというのは凪良ゆう著『滅びの前のシャングリラ』だけだった。結局、何も買わなかった。

 なんか、まとまりがなくなってしまったが、小難しいことを書いてある本を買う気はしない。しかし、簡単だといって中身がスカスカな本を買う気もしない。結局、表現は難しくなくても考えさせられる、そういう本を読みたいのだと思う。