身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

家族。

 家族というものに縁がなく、この歳まで生きてきた。両親が歳を取ってからの子供だったので祖父母は物心がついたときにはいなかったし、兄弟もいない。親戚は、ならず者の叔父(母の弟)だけだった。

 高校のとき、精神を病んだら両親には殴る蹴るをされた挙句に実家を追い出され、引っ越した母の実家(叔父の家)でも嫌なことをされた。なので、家族というものに、あまり良い印象はない。

 この2・3年で叔父と親を相次いで亡くしているせいか、家族というものは実は結構、大切なものなのだなと思った。実家を追い出されてから両親とは疎遠のままだったが、それでも父が亡くなってからの母の私への甘えというか依存は大きい。

 昨日、観ていたTVドラマ「恋です!~ヤンキー君と白杖ガール」の最終回をやっていた。原作の本タイトルをサブタイトルにして「恋です!」は、ちょっとやりすぎ… と思っていたのだが、実際、出来上がったものは視覚障害など関係のない甘いラブストーリーだった。

 最近、思うのは、若いうちに結婚しておけばよかったなぁということだ。病気をする前は体重は60㎏ほどで、均整の取れた体つきをしていた。袴田吉彦さんと身長と体重が同じ… と言っていたら、不祥事を起こしてくれて私まで笑われた。しかし港区から颯爽と自転車で丸の内に通勤してくる私は、外側はモテ要素が詰まっていたと言っていい。

 他方、内面は、どうしようもなく病んでいた。専門学校を準首席で卒業して大学にも受かったのに家族に行かせてもらえず、社会人で入った学校も「大学を出ていなくても立派にやっている人は沢山いる」という理由で辞めさせられた。まぁ、最後には病んで勉強どころではなくなっていたところもあるが。

 30歳に戻れるとしたら、まず会社を辞める。専門学校や大学で取った単位を使えば簡単な大学に移れば1年で卒業できるはずである。商社勤めなど辞めて好きなことをやるだけで、どれだけ人生が変わっただろうかと思う。

 実際は障害基礎年金なんてものも知らず、働かなければ食っていけず、無理やり少しは適性がある雑誌社で編集の仕事などをして、自殺未遂をして大火傷どころではない後遺障害を残すことになるのだが。

 しかし、もし、このときに助けになる家族がいれば、その選択ができたのになと思う。当時、会社の女性の同僚に言われたのだが、アイロン掛けも上手いし、家事はできるほうだとのことだった。今の男性に比べれば料理など下手も下手な部類に入るのだが、それでも、できる家事というのは結構ある。

 当時の私は家族というものに嫌悪感さえ抱いていたと言っていい。なので、近づいてくる女性が皆、まるでマルチ商法のカモを探しているかのように見えた。どーせ、自分のことを居住地やルックスで判断しているんだろうなぁと思っていた。

 しかし、この歳になって周囲の女性を見ると、別に神の啓示のように恋をして結婚している人ばかりではないということを知る。そうなると、もう、見方は就職試験と同じであります。そういえば当時は永久就職なんて言葉もあった。

 最近になって、婚活パーティーなどエゲツナいものを区までが主催していて、それが不自然なことではないと思うと、そんな、就職をする気持ちで結婚していても、今になると良かったのではないかと思う。そういえば最近観ているTVドラマで、例えば朝の連続テレビ小説でも、話は結婚を軸として動いている。

 まぁ、言ってみれば、この歳になるまで「家族恐怖症」というようなものに罹っていたのではないかと思う。考えてみれば結婚したところで離婚も当たり前のようにあるし、そう考えると、恐怖症とまではいかなくても「面倒なもの」くらいには思っていたと思う。

 そう考えると病気が再発した30歳前くらいからを独りで生きてきたのは、なかなか辛い体験だった。配偶者でなくてもいいから、もし、家族がいれば、自分の人生、もっと生きやすかったと思う。