身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

中途半端。

 今日は朝から体調が悪い。便秘をしているので下剤を服んだのだが効かず、わざと消化に悪いものを大量に食べたら下痢ではなく嘔吐してしまった。

 さて、拝読しているBlogの筆者が社会人で大学に入ることを決意したという。本人はドロップアウトだというが、勉強するのに歳は関係なく、私は素直に祝福したいと思う。

 他方、こんなに大学に行きたかった私だが、今、大学に行けと言われたらどうするか。

 私は文学部が志望だったので、英語は基礎だし、併設の大学へ編入ができるので(当時は併設の大学へしかできず、その後、さらに他の大学に進むつもりだった)神田外語学院へ進み、高校退学を挽回するかのように全優の成績で卒業した。成績以前に勉強が楽しかった。

 そして、編入の届けを出して、いざ行こうと思ったら学費が振り込まれていなかった。大学に行くつもりなので就職活動もしておらず、学校に嫌味を言われながら壊滅的に環境が悪い会社に押し込んでもらった(そんな学校に、2年後、大手商社に転職させてもらった)。

 朝から晩まで机に向かって必死に勉強していたのを、勉強など嫌いなものに決まっているから机に向かっているというのはボーッとしているのに決まっている、覇気がないと言われた。

 それでも大学への編入手続きまでさせるところが、私の家族が「キチガイ」と呼ばれる所以である。しかも、私の様子を隠れてコソコソ見に来ていたという。

 それを言った叔父は神田外語大を「人に言えない大学」だというので叔父が1浪した挙句に入った大学を調べてみたら、定員割れを起こして空いた籍を特待生で埋めているという様だった。よく言えたものだ。

 もう、そう思ってしまうと、そうとしか思えないのがキチガイキチガイたるところで、それで家を追い出しておいて、追い出したときに成績表を見て、「お前、こんなに成績が良かったのか」と言う状態だ。

 私はそれから某私立の雄と言われる大学に社会人で入っている。しかし、病気が酷くて1単位も取れなかった。後で課題を見ると英語など中学生並みの内容だった。これが取れなかったら神田外語どころか中学の英語教師が泣く。

 結局、そのまま除籍になってしまった。社会に出たら、専門職ということで変な大学を出るよりは自分に適った仕事に就いたのだが、結局は、その仕事も辞めて他のことをしている。

 そして、病気の回復を待っていたら、早50歳近くである。eラーニングを始め、学習環境も私の学生時代に比べたら格段に「楽」になっているだろう。

 しかし、今、大学に行けと言われたら躊躇する。たぶん、行かないだろう。そんな中途半端な私は、彼の決断に拍手を送りたい。

 それに、彼は、確か、まだ30歳になっていないはずだ。学習するのには歳は関係ないが、人生を過ごすのには何歳に何をしたかは関係する。そして、まだドロップアウトしたしないの判断には早すぎる。私なんて、本当に手遅れなんだから。

 拍手を送るだけではなく全力で応援したい。