身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

ないものねだり。

 今日から実家に行くので、このエントリーも、また予め自宅で書いている。

 実家にはインターネット環境がない。馬鹿みたいに回線だけフレッツ光が入っているのでプロバイダー契約をしてみたら、プロバイダー料金以外にも料金が掛ったので止めた。止めたところで、プロバイダーも今まで使っていたEメールだけのコースが廃止になっていて、基本料が倍になってしまい、踏んだり蹴ったりだ。3年前に3万円で買ったノートPCを置いているので(ストレージが32GBのeMMCだからアップデートできないだろうな)スマートフォンテザリングでも使うか。

 

 さて、学歴など必要ないと言う人間は高学歴で、金が全てではないと言う人間は金持ちであるということは、よく言われる。しかし、逆もまた真なのではないか。

 私が働けないと苦しんでいたら、知人に、いや、働かないで済むなら働かない方がいいよと言われた。上の例でいうと働いているから言っているということになるが、この場合、やっているけど辞めたいと言うのが本音だろう。

 似たものに「若いうちの苦労は買ってでもしろ」というのがある。これを言う人は絶対に若いときに苦労はしていないし、苦労がしたいわけでもない。今現在、苦労していて、こんなことなら若いうちにしておけばよかったなぁというところだろう。

 しかし、歳を取っても若くても苦労なんてしない方がいいと思う。そんなことを言う人間は若いうちも歳を取ってからも、ずっと苦労してろと吐き捨てたい。

 苦労している暇があったら勉強して遊べ。いつまでも、そんなことを言っていて見っともないと言われるが、一流と呼ばれる大学に受かっても行かせてもらえかなったのが今でも堪えている。学者になりたかったのに大学に行けないってアウトでしょ。

 部活もさせてもらえなかったので楽しみも知らない。友達も全て親に追い払われて、現在の私には親友と呼べる人、いや、普通の友達さえもいない。しかも親族も母と叔父だけで兄弟や従兄弟もいない。その母も今年87歳である。父は昨年、死んだ。

 私は若いときに苦労したが、それで現在、良いことは何もない。現在、精神障害を患っている原因は、その時その時に、きちんと遊びや勉強を「履修」していなかったからだと思う。若いときの苦労が、むしろ現在も祟っている。

 若いうちの苦労は売ってでもするな。それが、現在、苦労して精神を病んでいる私からのメッセージだ。