身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

今日も不安と恐怖で目が覚めた。

 今、午前7時、恐怖と脅迫感に苛まれながら、これを書いている。ゆっくり眠れない。何度も目が覚める。起きたときには疲れ果てている。今日も午前6時に目が覚めたのだが、今まで起きられなかった。眠剤がなければ一睡もできないのではないか。

 食事も喉を通らない。2日で2㎏痩せた。

 先日の相続で、遺産は、母が6,000万円、私がちょっと高い国産車1台分くらいを取ることに決まった。私は無職で貯金もゼロだし、障害基礎年金を貰っているので公的年金すら掛けていない。今後は無収入で、死ぬまで、その金で過ごさなければならない。46歳の今も、親からの虐待に近いことをされていて、生きていて良かったことなど何もなかったと思う。

 小学校から夏は40℃を超す部屋に監禁され監視され、小説を読んでも破り捨てられた。水も与えられず、熱中症で何度も倒れた。自分たちはTVの深夜番組を観ているのに、私はニュース番組さえ観せてもらえなかった。唯一の楽しみは勉強だった。

 友達付き合いもさせてもらえなかったし、そもそもゲーム機すら触ったことがない。皆と共通の話題がなかった。小学校時代はお前の親はキチガイと虐められた。

 高校も親が決めた学校に特待生として入学させられたが、学校で教師からのイジメで動けなくなった。その教師は、後に不当労働行為で検挙された。しかし私へのイジメは発覚しなかった。

 それでも親は怠けていると私を殴る蹴るし、それを正当化するために警察まで呼んで私が家庭内暴力を振るっていることにされ、私は精神を病んだ。

 当時の主治医が、すぐに親から離さなければならないといって、即入院となり、病院から大検を受けに行った。しかし、その医者も、親の言うことを信じた。物を書こうとしても、薬で眠らされた。それ以来、家には上げてもらえず、勘当同然だった。

 高校のときに、そのような状態なので、どこの大学も内申書を見て入試には失敗、大学に推薦がもらえる専門学校に進んだ。これも、入試が難しい専門学校で、親は、受かるわけがないと言っていたのに、受かったら家を追い出され、叔父の家に移った。

 専門学校では全優の成績を収め、MARCHぐらいの大学に推薦と合格を取った。しかし、机に向かって猛勉強している私を、親は、机に向かって長時間、勉強なんてできるわけがない、成績は親にも送られていたのに、ボーッとしているに決まっていると言って大学には行かせなかった。

 しかも、大学入学の手続きをしてから行かせないと言うので就職活動もできず、しかも、車の運転はするな、営業はするな。入ったのはブラック企業。それも、新入社員に残業などさせるわけがないといって虐待は続いた。

 それから医者は変わったのだが、当時の医者も、このままでは死んでしまうと親に援助するように言った。そして、叔父の家も追い出されたが、そのときに出てきた成績表を見て、お前、こんなに成績が良かったのかと言った。

 実際、そのときに自殺未遂をして救急搬送され、今でも大きな傷跡が残る全身麻酔の手術をした。そのときも、親は五体満足で生んでやったのにカタワになりやがってと言った。

 それでも懲りず、私は自殺未遂をして病院に搬送、ICU入院した。そのときの入院費を、親は自分たちが払うから私のクレジットカードで建て替えておけと言って私はクレジットカードで払ったが、それも払われず、支払いをリボ払いにして、払い終わったのは、20年たった今年である。

 その間も、私が働けないことについて、ゴロゴロしている、それを正当化するために障害者になったなどと文句を付け、病状が酷くて起きられるなっても、まさかゴロゴロしていないだろうなと脅す。

 先日のエントリーで書いたが、肺炎にかかったとき、このまま死ねると、むしろ嬉しさを感じた。

 そして、先日、父が死んで、私には、医療費が掛かると領収書を出させて1円たりとも多くは振り込まなかったのに、自分は中学から私立に行って、定年後、再就職もせず、月に1回は旅行に行っていたことを知った。

 金がなくて私の医療費や学費を払わなかったのではなく、私を苦しめるために学校に行かせなかったりしたのだと思うと、死んでも死にきれない気持ちだ。

 それなのに、今まで私を虐待した母は、今後の散財の計画について楽しそうに話し、私と美味しいものを食べましょう、正月、待っていると言う。可哀そうだと思うが、行くと私が苦しい。

 私は遊びを奪われ勉強を奪われ、仕事も健康も奪われた。そして今、生活さえ奪われようとしている。この苦しみを書かなければと思うが、書けない。このまま犬死にするのか…。そして、書けないことで、なおさら苦しんで、夜も眠れないのだ。

 毎回、同じことの繰り返しになるが、毎晩、そのことが思い出されて魘されたり、強迫観念のようになっている。 こんな生活、早く終わらせたい。どこに希望があるのか。

 

 また今日も、私が避けたいと思っている露悪趣味なエントリーになってしまった…。そんな中、昨日、届いた鷺沢萠『さいはての二人』を読み終える。

 表題作は、昨日、読んだのに、今日になると、まったく覚えていない。今シーズンのTVドラマの最終回も、ほとんど覚えていない。

 しかし、鷺沢萠作品は、いつも切ない。読み直して、近々、感想文を書きますね。