身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

「おちょやん」第15週を見て思う感情の複雑さ。

 苦しくてついにTVドラマも観られなくなった。苦しいことしかなく、生きている意味が判らない。掲題「おちょやん」も15分の1話を3回に分けて観ている有様。今年に入って最も楽しかったことが喫茶店に行ったことである。

 さて、昨日、電話があった友人が、変な奴だと思われていると言う。言っていることも筋が通っていると思うと言ったら、それが変だと言われる所以だという。感情がないのか、と言われるという。

 まぁ、平気で親のことを死ねという人で、そこだけ見ると非道な感じがする人である。また、友人の自殺を安易で短絡的だと非難したりする。私は自身も経験があり自殺する人の気持ちが嫌というほど判るので、これについては激怒した。

 ただ、本人も、そんな人を非難しながら泣くのである。だってよ、その日に桜を見に行く約束をしていたのに、やるせないじゃん…。結局は、理論とは別の感情を抱いているわけである。その裏にある感情が見えているかいないかということだろう。

 先週の朝の連続テレビ小説「おちょやん」を観て、主人公・千代の、父テルヲに対する(しかし、この名前、いつも佐藤正午『身の上話』の竹井輝夫を思い出す)情のかけ方を見て、これだよなと思った。(この辺、後で追補します。)

 体調が悪くて文章が書けないのだが、血の繋がりが現実を道理どうりに運ばせないことがある。私が叔父が死んだとき、ざまあみろと書かないのかと変なのに絡まれたのだが、それを書いてきた奴は、やはり情緒が幼いのか家族に理解されず縁を切られたそうである。

 血の繋がりについて、桜の季節ということで鷺沢萠著『葉桜の日』と併せて書こうと思ったのだが、これだけ書くので精一杯である。葉桜の季節に読み直して、改めて書くことにする。