身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

半端な時間。

 今朝は嫌なことがあったが詳細は書かない。そして、何とか起きたのは午後2時。食生活も狂う。そして、Facbookの「過去のこの日」みたいなのに数年前の渋谷のハロウィンの映像と画像が出てくる。

 昼間ということもあってか、ハロウィンを楽しむ人たちより、コスプレをしている女の子を撮るオヤジたちみたいな画像ばかりで(カメラはこぞってフルサイズ一眼レフ)なんか変な欲求が溜まってんじゃないかと思う。

 活動できるのが午後2時からといえど、私がクズ医者と呼ぶ前任の主治医のときは心臓が針の筵の上で転がされている感じがして何もできなかったので、それに比べると動ける時間は増えた。

 クズ医者の前の主治医のときは普通に仕事ができていたのに、クズ医者が主治医になった途端にそのような症状が現れるというのは、医者として恥ずべきことだと思う。しかも、それを認めたくなく、私が嘘を吐いていると言う。医療関係者ではない周囲の人間が風貌の異変に気が付くのに、だ。

 ちなみに今年の春に独立開業したが、あのステマサイト・カルーに広告を出しているのに評価は3である。ステマサイトだから本当の評価が3ということはないのだが、カルーが、高すぎるとわざとらしいと3にしたのか、本当はもっと低いのを3にしたのかは知らない。不思議なことに悪く書いてあるアンケートが掲示されている。また、付いて行った患者はほとんどいないと聞く。

 しかし、午後2時というのは中途半端な時間である。今でこそ居職なので、その分、夜、活動すればいいが、やはり外出するには遅い。さすがに渋谷に行く気はしないが、都内はどこも混んでいるということで近所に買い物に行った。不思議と近所のスーパーは空いていて、誰に訊いても今日のハロウィンの外出傾向というのは判らないという。

 さて、本棚から鷺沢萠『葉桜の日』を引っ張り出してきた。文庫本で、それだけ新潮文庫でカバーの背が青いのでタイトルが読み取りずらかったようだ。併録されているそう長くもない『果実の舟を川に流して』を読み始めるが、まだエンジンが掛からない感じで、集中できるのは、このBlogをアップしてからになるだろう。

 紹介してくれた星香典さんの言葉を借りると「若い女性が書いた軟派な作品」も少なからずあり、そういう風俗小説の一部かと思った。まぁ、女子大生作家に求められる作品というのは、そういうものだろう。しかし、それらの小説を読んでも同じ作者が書いたものとは思えないほど面白くない。以前のBlogにも書いたが、「文藝」誌に掲載された永江朗氏の文章をもって結末とする。

私が階級的憎悪感をもって読んだ『少年たちの終わらない夜』の子供たちも、『スタイリッシュ・キッズ』の若者たちも、今あらためて読むとちっとも楽しそうではない。それどころか、「もうすぐ終わってしまう。急がなきゃ、急がなきゃ」とでも呟いているように、何だか浮足立っている。そこには生の充実感のようなものはない。この手で世界の中心に触れている、という実感がない。スタイリッシュなキッズたちは、単に消費社会のなかで踊らされているだけだし、終わらない夜を過ごす少年たちも、楽しくてしかたがないから遊び続けるのではなく、他にどうしようもなく途方に暮れているだけだ。彼らを支配しているのは、階級を滑り落ちていく不安ではなかったのか。(永江朗著「京浜工業地帯文学」「文藝」2004年秋号所収)