身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

レインボーブリッジができる前のお台場の話。

 手元に1葉の写真がある。昔はEXIFもビックリの詳細なデータがあったのだが、HDDごと飛んでしまった。HDDの容量が10GBという時代である。バックアップなどない。年ごとに番号を振ってあるので、かろうじて1992年の写真だということが判る。退色しているが、色はそのまま。

f:id:minato_serenade:20200826132344j:plain

 

 1992年というと私が専門学校に入った年だ。当初はバスで学校に通っていた。目黒駅から私が住む仙台坂上を通って日本橋三越に行くバスだ。バス停の名前が三越前ではなく「日本橋三越」なのは三越の横に着いたからか。

 今では路線が短縮されて新橋駅止まりになっているが、そのまま銀座通りを突っ走り日本橋まで行った。銀座通り(中央通り)を日本橋まで北上し、しかし橋の手前で左に曲がり榮太郎と昭和西川の間を通り呉服橋を日銀本店のほうに曲がる。日本橋を通るのに片道は日本橋を渡らない。

 じきに帰りの銀座通りが混んで自転車通学に変えたので、それ以前のことだ。都バスの定期券は、フリーカードといって全路線乗り放題である(探したら出てきた)。私は休みの日は定期券を持って都内を散策した。このお台場の写真は、その時のものだと思う。

f:id:minato_serenade:20200826141020j:plain

湊さん20歳

 

 当時、お台場(まだ名前がなく13号地という名前だった気がする)に行くのに、品川駅からのバスしか公共交通機関はなかった。稀有な交通機関に追加料金なしで乗れるのだからと乗り込んだ。

 かなり昔のことで、あまり覚えていないが、ものすごく混んだ冷房も効かないバスで東京港トンネルに入った。やたら長い時間、バスに揺られた記憶がある。当時は高速道路しかなかったはずだが、ぜんぜん高速だった覚えはない。知り合いに高速道路料金が別途必要かもしれないと言われるが、それは取られなかった。

 バス停の名前は「お台場海浜公園」だった気がする。当時のお台場といえば当然、商業施設は何もない。人も住んでいない。そもそも、埋め立てが終わっていなかったのか立ち入り禁止だったのか、公園以外に何もなかった気がする。「公園」といっても、あるのは海水浴場? と砲台だけだ。

 沖ではウィンドサーフィンをしている人がいて、売店が1つあった。そこで魔が差した。せっかく海に来たのだから足だけでも水に付けてみよう。これが後々、とんでもないことになる。当時のお台場の海はドロドロで、臭いという以前に汚れが取れない。

 問題は、ここからである。行きもバスしかないということは帰りもバスしかない。これではバスに乗れない。どうやってバスに乗ったのか覚えていないが、靴を履くのも難儀した気がする。そしてうちには風呂がなかった。尻切れトンボになるが、その後の対処した記憶はないのに、この、海に足を付けてヤッチマッタという思いは、鮮明に覚えている。